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私ことFKRGが書いた小説(らしき物)を掲載しています。あらかじめお断りしておきますが、かなりの長編です。 初訪問の方は、カテゴリー内の”蒼い水、目次、主要登場人物”からお読み下さい。 リンクフリーです。バナーはカテゴリー内のバナー置き場にあります。 フォントの都合上、行間が詰まって読みにくいかもしれません。適当に拡大してお読み下さい。
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第1章 襲撃2 アップします。

読んで頂いた方からの感想をお待ちしております。

蒼い水                  作 FKRG

 

第1章 襲撃2

            

漆黒の闇の中に、白い小さな点が無数に浮かんでいる。白い点は微かに瞬いていた。

「あれは星か?」

見とれている内に、その中の一つが急に明るくなった。いや、明るくなったのではない。凄まじいスピードでこちらへ向かって来るのだ。近づくにつれて点はその形を変えた。丸から楕円へ、そして鈍く銀色に輝く細長い流線型へと…。

「子供の頃、オヤジにねだって銀色のシャープペンを買ってもらった。あのシャープペンにそっくりだ。いや、ちょっと待て、おかしいぞ。小さな翼が付いている。それに後ろから青白い火を吹いている。あれは…ミサイル? ミサイルだ! どこに向かってる? どこを狙ってるんだ?!」

 慌しい幾つもの声が聞こえて来た。重なり合うそれらの声はどれも緊張に震え、そして掠れている。

「第二防空ラインを突破されました!」

「迎撃しろ!」

「目標、多数。迎撃不可!」

「レーダーサイトは何をしていた!?」

「防空システムにウィルスが…」

「都民に避難命令を…」

「無駄だ。…もう遅い」 

「着弾します!」

 ミサイルの噴射炎が不意に消えた。誰にも止めようのない速度で地上に落下して行く。目指す先は住宅街だった。見慣れた街並みが広がっている。見慣れた通り、見慣れた家、そして見慣れた茶の間。 

「オヤジ! 何を難しそうな顔をしてるんだ? 早く逃げろ!」

「オフクロ! 何をのんびりテレビ観てるんだ? …お気に入りの連続ドラマが最終回? そんなもん、どうでも良いだろ! 早く逃げるんだ!」

「おい、典子! 爪の手入れなんかしてる場合じゃないだろうが! 早く逃げろ。早く!」

「玲子、おまえもだ。早く逃げろ! え? 結婚式は、いつになるかって? そんな事、このクソ忌々しい戦争が終わってから考えれば良いじゃないか! 愛してるかって? 当たり前だろ。愛してるよ。だから早く、早く逃げてくれ!」

戸惑いがちの表情で、玲子が何か言った。

「どこへ逃げれば良いのか判らない? そんな事、俺だって判らないよ! とにかく逃げろ! おい! そっちじゃない! そっちにはミサイルが…」

「弘一さん、助けて! 熱いっ!」

玲子の悲鳴が聞こえた。

「玲子!」

叫んだ途端、目の前が真っ白になった。何も見えない、何も聞こえない。

「オヤジ! オフクロ! 典子! 玲子! 何処に居るんだ。何処へ行っちまったんだ。誰か何とか言えよ!」 

 

「…さん。…じょうさん。…あんじょうさん。…安城さん。起きてください」

 自分の名を呼ぶ声に、KCD C中隊隊長 安城弘一少尉は目を覚ました。

「う、う~ん」

呻き声を漏らして顔の上に載せていたキャップを持ち上げる。すぐ目の前に、五月の陽光に照らされて穏やかにうねる海と白い砂浜が広がっていた。

(夢だったのか、悪夢…)

そっと溜息を漏らした。

 そう、悪夢だ。数え切れぬほど何度も見た悪夢。本当にあった悪夢。取り返しのつかない過去を再現する悪夢。最初の頃は悲鳴を上げて目を覚ました。だが、今は悲鳴など上げない。目を覚まし、溜息を漏らすだけだ。

「大丈夫ですか? 随分、うなされてましたよ」

 耳元で、また声がした。

「うん? あ、ああ…」

仰向けに寝転んだまま、視線を声の主の方に向けた。

明らかにサイズオーバーの戦闘服を着た小柄な娘が、両膝を地面について安城の顔を覗き込んでいた。色白の小さな顔に小さな鼻とピンク色の細く薄い唇。黒目勝ちの目だけが、総じて小作りな顔の中で不釣合いなほどに大きい。

走って来たのだろう。うっすらと汗ばんだ白い額に、おかっぱギリギリまで刈上げたショートヘアの前髪の何本かが貼り付いている。

(可愛い娘だな。誰だったっけ)

眠りの淵から唐突に引き摺り上げられたからだろう、霧がかかったように頭の中が霞み、記憶が混乱している。誰なのか思い出せないままに、安城は娘の顔を見つめた。

(ずっと前に、どこかで見た覚えがある。恥ずかしげに頬を染めて俺を見上げていた少女? いや違う、あの少女ではない。あの少女は肩まで伸ばした髪を三つ編みにして、子供っぽいミニのワンピースを着ていた)

「じゃあ、誰だ?」

声に出して呟いたその時、微風が吹き過ぎた。ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐり、その香りが娘の顔と名前を結びつけた。

「なんだ、小川か…。何事だ?」

 上体を起こして大きく伸びをした安城は、およそ緊張感のない声で尋ねた。

つい先日、二十五歳の誕生日を迎えたばかりの安城弘一は、見る人の好みにもよるが、まずまずの美男子と言えるだろう。浅黒く日焼けした顔に直線的な鼻梁と引き締まった口元、そして少年のように澄み切った目の持ち主だ。

だが、午睡の夢を破られた今の顔は、まるで…。

「…まるで無邪気な赤ん坊みたい。中隊の指揮を執っている時には凄く男らしいのに…。でも、その落差が私には魅力なんだけど」

 と、喉元まで出かかった言葉を慌てて飲み込んだ小川さゆりは、柔らかく暖かみのある声で安城の質問に答えた。

「司令部から緊急連絡が入っています。詳細は中隊長に直接に、と言うことですが、どうやら守川町守備隊に関する事のようです」

安城の顔と頭の中から、眠気が一瞬の内に吹き飛んだ。

「守川町守備隊? 桜のF中隊じゃないか!」

「は、はい」

 息遣いが聞えるほどの近さで安城に見つめられたさゆりは、頬を赤らめながら答えた。

「戻るぞ、小川!」

安城は勢い良く立ち上がった。一八〇センチ近いすらりとした長身に短く刈り込んだ髪。野暮ったい戦闘服を着ていなければ、バレーかバスケットの選手に見えるだろう。

神子川風力発電所の管理棟内に設けられた中隊本部に向かって駆け出した安城の後を、さゆりは懸命に追った。だが、いかんせんコンパスの長さが違い過ぎる。二人の距離は離れていくばかりだった。

 

さゆりがようやく管理棟に辿り着いた時には、安城は既に司令部との連絡を済ませており、指揮下の小隊長たちに出発命令を下している最中だった。

命令を受領した小隊長達が散ると、さゆりは恐る恐る質問した。

「安城さ…中隊長、何があったんですか?」

名前で呼びかけて慌てて言い直したのは、普段は温和な安城が眉間に深い縦ジワを寄せ、怒りと焦りを交えた険しい色を目に浮かべていたからだ。

「F中隊がバンディッツの襲撃を受けたらしい。だが詳細は不明だ。連絡が全く取れん。俺達C中隊が調査に赴く事になった」

口早に説明する安城の出で立ちは、砂浜で昼寝をしていた時とは一変して、KCD規定の完全武装になっていた。

ダークグリーンの戦闘服に編み上げ靴は同じだが、キャップの代わりにヘルメットを被り、H型サスペンダーで吊ったピストルベルトを締めている。幅広のピストルベルトには、小銃の予備マガジンと手榴弾を収めたマグポーチ、拳銃を収めたホルスター、軍用ナイフ、水筒、ファーストエイドセット、一日分の携帯口糧を入れたポーチなどが付いている。

「ただちに出発する」

玄関に向かって大股で歩き出した安城だったが、何かが足りなかった。

「やだ、銃を忘れてるわ」

テーブルの上に放り出されたままの安城の小銃に気づいたさゆりは、自分の装備と一緒に抱え込み、慌て者の上官を小走りで追いかけた。

 

小川さゆりは十八歳、階級は初級兵。一ヶ月半前に誕生日を迎えると同時にKCDに入隊し、一ヶ月の基礎訓練を受けた後、つい二週間前に安城のC中隊に配属されたばかりの全くの新兵だ。

僅か一ヶ月の基礎訓練を受けただけの十八歳の娘が戦場に立つ。WW3の最中でさえ、そんな非常識な事をする軍隊は稀だったはずだ。

しかし、KCDではそれが常識だった。

KCDが創設されたAD二〇一〇年末の時点では神白の人口は五万人を越えており、KCDの人員規模も五千名を数えていた。だが、AD二〇一二年五月現在、神白の人口は二万人に減り、KCDの人員規模も千数百名にまで縮小されている。

それはなぜか?

創設時のKCD要員の大部分は戦闘に関しては全くの素人であり、しかも武器と呼べる物は燃料庫守備隊が保有していた僅かな小火器類しかない、と言うのが実情だった。これら防衛隊とは名ばかりの烏合の衆で、市内全域に散在する住民をバンディッツの襲撃から守り通すことは当然ながら不可能だった。

多くの住民が暴行され殺された。そして、いつ終わるとも知れぬ襲撃への恐怖に耐え切れなくなった人々は、家族ごと或いは仲間ごとに神白を去っていった。

それが、僅か一年半ほどの間に神白の人口が激減した理由であると同時に、KCDの人員規模を縮小せざるを得なかった要因だ。

JAの倉庫に備蓄されていた米は底を尽きかけている。神白に踏み止まった二万人の人々が生きていく為の食料の全ては自給しなければならない。街を守る為のKCDにも人手は必要だが、農地を耕して米や野菜を作り、家畜を飼育する人手も必要なのだ。

このような理由からKCDでは、十八歳以上で兵士としての最低限の基準をクリアしてさえいれば、性別や軍務経験など全く問題視されないのだった。

           *

神白市街地の南に位置する神白城址は、標高三十メートルほどの大きさ形ともほぼ同じ二つの丘から形成されている。東西に寄り添うようにして並ぶ二つの丘は、西側が西ノ丸跡、東側が本丸跡と呼ばれており、守川町方面から神白川西岸に沿って北上して来た県道19号線はこの二つの丘の間を通って神白市街地へと向かっている。

つまり県道の両側に巨大な門柱のように聳える城址は、そのまま神白市街地への“関門”の役割を果たしているのだった。

今、その関門の南側の出入り口は鉄柵と土嚢によって封鎖され、一個小隊ほどの兵士が警戒の目と銃口を守川町方面に向けていた。

 

物々しい雰囲気が漂う神白城址に、バイク、トラック、ミニバン、ジープから成るC中隊の車列が到着したのは、神子川河口の風力発電所を出発してから二十分後だった。

車列を関門の手前で止めた安城は、威力偵察の隊列を組むよう部下達に命じてからジープを降り、鉄柵に向かって大股で歩き出した。

安城から少し遅れて、さゆりが“ちょこちょこ”と言う表現がぴったりの小走りでついて行く。ホルスターが無い事と小銃の代わりにサブマシンガンを首からぶら下げている以外は、安城と同じ出で立ちだ。

鉄柵の傍に中肉中背の男が立っていた。戦闘服を着込んでヘルメットを被ってはいるが、ピストルベルトにホルスターを吊るしているだけの軽装だ。

その男…神白城址を守備するE中隊隊長 倉沢寛治少尉は、近づいて来る安城に向かって右手を上げ、ニッコリ微笑んだ。

涼しげな切れ長の目を持つ倉沢は普段は物静かな男だ。しかし一旦戦場に立つと、敵に対して一歩も退かない剛直さと猛々しさを持っている。年は安城より二つ上の二十七才だが、年齢以上の落ち着きを見る者に感じさせる。

「どんな様子です?」

倉沢の横に並んだ安城の表情は、いつもの温和なものに戻っていた。だが、目の光の険しさは消えていない。

「斥候から報告があった。少なくとも、あのラインまで敵は居ない」

倉沢は、遠くに霞んで見える土手を指差した。東西に伸びるその土手は、戦争の激化にともなって工事が中断され、ついには未完成のまま放置された北陽高速道路の盛り土だ。

「今朝の会議では、“F中隊に何かあった場合、直ちに救援に向かう“という事でした。E中隊には、出動命令は出てないんですか?」

不満気な声で安城は尋ねた。

今朝の会議には、奥川村ダムを守備するG中隊隊長 秋川孝と謹慎中のB中隊隊長 北川治を除くKCD幹部全員が出席していた。無論、安城も倉沢もその場に居た。“F中隊に異変が有った場合、直ちに救援に向う”という川村の言葉を、二人とも確かに聞いている。

「ああ、出てない。俺の所へは“警戒体制をとり、斥候を出して高速道路付近までの様子を探れ”と言う命令だけだ。G中隊には出撃命令を出したようだが、秋川は動こうとしないらしい」

「ダムにもバンディッツが現われたんですか?」

「いや、“現われてはいないが、現われる可能性があるので動けない”と、応答してきたそうだ」

「現われる可能性がある? 何処にだって現われる可能性はありますよ。秋川の奴、温泉に浸かり過ぎてやる気が無くなったんじゃないですか?」

四ヶ月前の猛吹雪の真夜中、神白市街地西方の守備に就いていたG中隊は、三百名近いバンディッツの奇襲を受けて壊乱状態に陥った。それを救ったのは桜だった。F中隊を率いて雪中を迂回し、敵主力の側面を衝いて敗走させたのだ。

桜の果敢な行動で全滅を免れたG中隊だったが、半数近い兵が死傷し、秋川も瀕死の重傷を負った。

春になり、何とか動けるようになった秋川とG中隊の生き残りは奥川村ダムの守備に就いた。ダムの周辺には外傷に効く温泉が湧き出している。“湯治を兼ねた守備任務”という訳だ。

「秋川にとって桜は命の恩人だ。奴がのんびり温泉に浸かっていられるのも桜のお蔭なんだ。G中隊全部とは言わんが、一個小隊くらいは派遣できるだろうに」

安城の表情がまたしても険しくなってきた。語気も荒くなる。

「まあ、そう言うな。秋川は熊のような体つきだが、その割にはナーバスな所がある。あの時の傷は死んでも不思議じゃないほどひどかった。腰が引けるのも無理はないさ。第一、敵の兵力や目的が不明な現時点でダムから出るのは危険過ぎる。ダムから守川町までのルートは見通しが悪い。途中で待ち伏せされたら、ひとたまりも無い。おまえだって、それは知ってるだろう? 桜の安否を心配する気持ちは良く判る。が、だからと言って秋川を責めるのは筋違いと言うものだ」

「うむ、まあ、…そうですね」

ヘルメットの上から頭を掻きながら、安城は照れ臭そうに俯いた。

「うふ」

さゆりが小さく笑った。安城の仕草が、先生に説教を食らった子供のように見えたからだ

「ん?」

倉沢の訝しげな視線が、安城の背後に立つさゆりに向けられた。

「安城、そのお嬢さんは?」

「ああ、会うのは初めてでしたね。二週間前に俺の隊に配属された小川さゆり初級兵です」

「中隊長付護衛兵 小川さゆり初級兵です。宜しくお願いします」

慌てて真顔に戻ったさゆりは、 “気をつけ”の姿勢をとると同時に、伸ばした右手の指先を右耳の上に当てるKCD式の敬礼をした。

だが、緊張の余りに右手に力が入り過ぎているのだろう、頭が不自然なほどに左に傾いている。しかも、オーバーサイズの上着の袖からのぞいているのは白く細い指先だけだ。

倉沢の相好が不意に崩れた。

「ふ、ふふふ…、ははははは…」

 愉快そうに笑う。

小柄な体にダブダブの戦闘服を着込み、黒光りするサブマシンガンを胸元にぶら下げたさゆりが、首をかしげながら敬礼する何とも可愛らしい姿を目の当たりに見て、笑いを我慢できなくなったのだ。

「?」

さゆりは、そんな倉沢をきょとんとした顔で眺めていた。

「いや、失礼した。中隊長付護衛兵か…。つまり、安城の護衛ということだな?」

ひとしきり笑うと、倉沢は真面目な顔に戻った。

「は、はい」

“なぜ倉沢少尉が笑ったのか見当がつかない”という表情を浮かべたまま、さゆりは頷いた。

「そうか…。おい、安城、良かったじゃないか。こんな美人に護衛してもらえるとは、何ともうらやましい限りだ」

「そんな…。美人だなんて…」

さゆりの頬が桜色に染まった。

「コイツは…安城は、銃も持たずにボーッとする事があるからな。しっかり護衛してやってくれ」

「はい、判りました。しっかり護衛します」

さゆりは、頬を染めたまま嬉しそうに目を輝かせて復唱した。

「ひどいなあ、倉沢さん。“ボーッ”は無いでしょう? それに小川、お前もだ。“はい、判りました”なんて、間髪入れずに応えるな。大体、いつ俺が銃も持たずに…」

口を尖らせて抗議しかけた安城だったが、銃も持たずに昼寝していた事を思い出したらしく、途中で黙り込んでしまった。

「ボーッは、ボーッさ。とにかく、宜しく頼む」

冗談半分の口調で言い重ねた倉沢だったが、その目は笑ってはいなかった。

(倉沢少尉は、階級は同じでも年下の安城さんのことを実の弟のように心配しているんだわ)

倉沢の顔を見て、さゆりはそう思った。

(でも、私だって同じ程に…。いえ、それ以上に心配している。だから…)

「はい! 命に代えても守ります!」

さゆりは、倉沢の顔を見つめたまま、自分でも驚くほどの大声で答えた。

「う、うむ」

 さゆりの大声に気圧される様にして頷いた倉沢は、視線を安城に移した。

「安城、この娘はおまえの事を…。そのことをおまえは?」

 と、目顔で問いかける。だが当の安城は、さゆりの思いにも、倉沢の無言の問いかけにも、全く気づいていない様子だった。

「…ったく、なんなんだよ。二人がかりで俺を子供扱いして…」

 ブツブツ言いながら、それこそ子供のように不貞腐れているだけだ。

(やれやれ、とんだ鈍感男だな。コイツは)

倉沢が心の中で苦笑した時、一人の士官が駆け寄って来た。

「お話中、失礼します」

左右の踵を打ち鳴らして直立不動の姿勢をとり、倉沢と安城に向かって恭しく敬礼する。

生真面目な表情を浮かべたその男は、C中隊第一小隊長 遠村誠准尉。安城がもっとも信頼している部下だ。

「隊長殿、威力偵察の態勢が整いました。いつでも出発できます」

防衛軍での兵役経験を持つ遠村の身ごなしは、さゆりの何処か笑いを誘ってしまうそれとは違って芯が一本通っている。だが、遠村のように上官に対してきちんと敬意を表する者は、KCDにおいては少数派に属した。

軍事組織の形をとっているKCDだが、軍隊特有の階級意識はほとんど存在しない。階級を付けて呼び合う事は少なく、せいぜい“さん”を付けるか付けないかで上下関係を区別する程度だ。

ルーズといえばルーズ極まりない。だが、一ヶ月という短期間でズブの素人を兵士に仕立てなければならないKCDにとって、軍人としての礼儀や躾などを教育するヒマなど無いのだった。

そして、その上に…。

「KCDは、“皆が皆、顔見知り”という小集団である神白の自衛組織だ。そこに殊更に階級意識を持ち込む事は、人間関係の上でむしろ有害なものになる」

と、KCD司令官である島崎が公言して憚らないので、副司令官の川村も、その他の幹部たちも、それを是とするしかなかったのだ。

「よし、出発しよう。…倉沢さん、行って来ます。必ず桜を、いやF中隊を連れて帰って来ます」

安城は力強く言った。

「ウン、連れて帰って来い。だが、くれぐれも無茶はするなよ」

「わかってます」

短く答えた安城は、近づいて来たジープの後部座席に飛び乗った。さゆりも安城の横に座る。その手にはサブマシンガンがしっかりと握り締められていた。

          

本隊の百メートル前方を、ジープと二台のバイクからなる啓開部隊が先行した。

視界が効かない場所や、待ち伏せるのに格好と思われる建物や木立を認めるたびに啓開部隊は停止し、本隊も停止する。啓開部隊が安全を確認し前進を始めると、本隊も前進を再開する。無論、前進している時も停止している時も、全隊員が銃を構えて油断無く周囲を見廻す。倉沢が安全を保証した北陽高速道路のラインを越えてから、C中隊は忍耐強くこのパターンを繰り返し続けた。

神白城址を出発してから一時間後、漸く守川町に到着したC中隊隊員の目に映った光景は惨憺たるものだった。

守川小学校の校舎の壁は黒く煤け、ガラスが割れ落ちた窓からは黒煙が立ち上っていた。そして路上には、薄煙を上げる数台の車両と血にまみれたF中隊隊員の死体が転がっている。死体の数は、ざっと数えただけでも二十以上あった。

険しい視線を校舎と路上の双方に走らせていた安城の顔色が不意に変わった。二百メートルほど先の県道上に、桜のジープを見つけたのだ。

「三木、あのジープまで行け」

安城は微かに震える声で、ハンドルを握る三木誠四郎初級兵に命令した。

「しかし、まだ敵が潜んでいる可能性が…」

「構わん。行け!」

怒気を含んだ声で命令を繰り返した安城は、運転席の背もたれを苛立たしげに蹴り上げた。

「り、了解」

日頃の安城に似合わぬ言動に気圧された三木は、慌ててアクセルを踏んだ。

車両や死体の間を縫うようにして進み、桜のジープまで十メートルほどの距離に近づいた時、安城の顔色が蒼白になった。

「止めろ!」

叫ぶと同時にジープから飛び降りた安城は、小銃も持たずに駆け出した。

「隊長!」

サブマシンガンを抱えたさゆりが、慌ててその後を追う。

さゆりが追いついた時、安城は立ち竦んだままジープの後部座席を睨みつけていた。握り締めた拳がブルブルと震えている。

後部座席に、大人と子供ほどに体格の違う二人の兵士が重なり合って倒れていた。仰向けに倒れた大柄な兵士の上に、小柄な兵士がしがみつくようにしてうつ伏せになっている。その二人の息が既に絶えていることは確かめるまでもなかった。

仰向けに倒れているのは桜だった。髭だらけの顔は血で赤く染まり、大きく開けた両の目は虚空を見据えている。そして、うつ伏せになっている小柄な兵士は…。

「あ、亜衣? 亜衣!」

その兵士が親友の市木亜衣だと気付いたさゆりの口から、押し殺した悲鳴が漏れた。

 

「目を、…桜さんの目を、閉じて上げましょう」

血が滲むほどに唇を噛み締めたまま桜の顔を見つめ続ける安城に、さゆりはかすれた声でささやいた。

「あ? ああ、そうだな」

安城は、強張ったままの表情で頷いた。右手を桜の顔に伸ばし、開いたままの瞼をそっと閉じてやる。

「私、桜さんの顔を綺麗にしてあげます」

 そう言うとさゆりは、ポケットからハンカチを取り出した。水筒の水で湿らせ、桜の顔にこびり付いた血を丹念に拭き取っていく。

「次はあなたよ。亜衣」 

安城の親友の顔を清め終えたさゆりは、次に自分の親友の頭に手を伸ばした。乱れた髪を手櫛で梳いてやりながら、蒼ざめた横顔に向かって優しくささやく。

「亜衣、桜さんに抱いてもらいなさい」

だらりと垂れ下がったままの桜の腕を持ち上げ、亜衣の背中にそっと重ねる。

そうしたさゆりの一連の行動を、安城は訝しげな表情を浮かべながらも止めようとはしなかった。なぜなら、桜と市木亜衣の顔に、微笑みが浮かんでいるように見えたからだ。まるで、抱き合ったまま静かに眠る恋人達のような幸せそうな微笑。

「ありがとう」

安城は、小さな声でさゆりに礼を言った。

「亜衣。…桜さん」

さゆりの肩が激しく震えた。大きな目から堰を切ったように涙が流れ出す。

「小川」

安城は、慌てて自分のハンカチをさゆりに差し出した。

小さな赤いシミが付いたそのハンカチを見て、さゆりは何か言いかけた。だが結局、何も言わずにハンカチを受け取り目に当てた。

それまで空を覆っていた雲が途切れ、西に傾いた太陽の光がジープを茜色に染めた。冷たさを帯びた風が、死んだ人間と生きている人間の髪をほんの少し揺らしながら吹き過ぎていった。

 

             以下、次号

 

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