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1-5からここへこられた方へ。
1-6がありますので、そちらを先にお読みください。
蒼い水 作 FKRG
第2章 待ち伏せ1 五月四日午後~
AD二〇一二年現在、地球上の緑地…森林地帯はWW3勃発前の二十五パーセントも残っていない。
もし今、天空の高みから地上を見下す者がいれば、ほとんどが赤茶色と灰白色で覆われ、所々に緑色が残っているだけの荒れ果てた光景を目にして愕然とするだろう。アフリカ、南アメリカ、ユーラシア大陸の一部には、かろうじて緑色の帯が見える。だがその他の地域には、薄く小さな緑色のシミが散在しているだけだ。
太平洋北縁に位置する弧状列島…かつては日本国と呼ばれた地域にも、そうしたシミが幾つか存在する。その一つが北陽地方であり、神白市はその小さなシミの東端部に位置していた。
神白市域の大半は山と丘に占められている。かろうじて平地と呼べるのは、鳥井川と神子川と日本海に囲まれた神白市街地、そして神子川東岸に広がる松林くらいなものだ。
海岸線から南数キロ地点を東西に横切る北陽高速道路の盛り土までは、なだらかな丘陵と荒地からなる比較的平坦な地形を維持している。だが、それを過ぎると丘は小高い山の連なりに変わり、南下するに従って山々は高さを増し谷も深くなっていく。
神白市街地を起点とする県道19号線を十数キロ南下すると、西から伸びてきた県道41号線と出会う。その合流点を左に…つまり県道19号線の終点である奥川村ダムへ進路をとると、一キロほどで神白川に架かる梓橋を渡ることになる。
「三木、もっとスピードを出せ」
ジープの後部座席に座った安城が、ハンドルを握る三木初級兵に命令した。
「了解」
短く答えた三木は、ほんの少しだけアクセルを踏み込んだ。
「四十キロ? もっと出せないのか」
首を伸ばしてスピードメーターを覗き込んだ安城が、苛ついた声で言う。
「俺だって飛ばしたいですよ。でもね…」
同じ様に苛ついた声で三木が答えかけた時、前を走るミニバンが急に右へ車体をずらした。それに倣って、三木も右へハンドルを切る。
路上に、大人の頭ほどの石が五,六個、転がっていた。
「これ以上のスピードは命取りですよ。路面は婆さんの化粧の様にひび割れてて、おまけに穴だらけ。その上、公園の犬の糞みたいに石が転がってるし…」
「うふっ」
安城の横に座って車外を見つめていたさゆりが、三木のおどけたセリフを聞いてクスリと笑った。
「なにがおかしいんだ? 小川」
安城は、ムッとした表情で、さゆりの横顔を睨み付けた。
「えっ? いえ、別に…」
答えたさゆりも、安城の方に顔を向けた。
思わず見つめ合った二人は慌てて視線をそらし、そのまま俯いてしまった。
ルームミラーを介してその様子を見ていた三木は、助手席の川口に向かって低くささやいた。
「安城さんと小川、ちょっと雰囲気が変わったよな。なにかあったのかな?」
「ん? なんか言ったか? 三木」
顔を上げた安城が訝しげな声で聞いた。ほんの少し頬が赤らんでいる。
「いえ、何でもありません」
三木は、慌てて視線を前方に戻した。それまで東へ湾曲していた道は緩やかに西へ戻り始め、山が両側から迫ってきた。
「デルタ ワン、こちらデルタ ツー。オーバー」
イヤホンから、ささやき声が聞こえる。
「デルタ ツー、こちらデルタ ワン。オーバー」
「デルタ ワン、こちらデルタ ツー。四台来る。そちらの視界に入るのは約五分後。先頭にバイク二台、次がミニバン。最後尾がジープ。ジープは、幌を掛けてホイップアンテナを立てている。オーバー」
「デルタ ツー、こちらデルタ ワン。了解した。オーバー」
蒼い水先遣部隊隊長 黒畑芳正は、腕時計の文字盤に素早く目を走らせた。十四時ちょうど。
(ホイップアンテナを立てたジープ…。中隊長クラスが乗るやつだ。情報通りだ。KCDの幹部一名と一個分隊、いただきだな)
不敵な笑みを浮かべながら、マイクに口を近づける。
「各小隊、こちらデルタ ワン。敵が接近中だ。“シフト スリー”でやる。二分以内に配置につけ。オーバー」
「デルタ ワン。こちらデルタ ツー。“シフト スリー”了解。オーバー」
「デルタ ワン。こちらデルタ スリー…」
きっちり二秒の間隔をおいて、指揮下の各小隊から応答があった。
やがて、道路向こうの斜面に生い茂る草や木の枝がザワザワとうごめき始めた。第四小隊…デルタ フォーの兵士達が、シフトに従って移動を始めたのだ。ここからは見えないが、他の小隊もそれぞ動いているはずだ。
命令の伝達を確認した黒畑は、低く長く口笛を吹いた。続いて高く短く三度。知らぬ者が聞けば、小鳥のさえずりにしか聞こえないだろう。口笛に応じて周囲のブッシュが揺れ動いた。黒畑が直卒する第一小隊…デルタ ワンの兵士が移動を開始したのだ。
黒畑が潜むブッシュの二十メートルほど下を、県道19号線が左から右へ伸びている。ここは、梓橋の南方にそびえる山の東側斜面だ。潅木と草に覆われた斜面は、オーバーハング気味の崖になって県道に接している。左側…つまり梓橋方向へ百メートルほどの所で山裾が突き出しており、道路はそれに沿って大きくカーブしていた。右側…奥川村ダム方向も、やはり百メートルほど先で同じ様にカーブしている。そして正面…道路を挟んだ向こう側も斜面だ。こちらに比べればなだらかだが、やはり潅木と草に覆われている。
黒畑率いる蒼い水先遣部隊二百名は、KCD F中隊を全滅させた直後から丸二日間、この道路を挟んだ細長い谷間に潜み続けていた。
数分後、二台のバイクが甲高いエンジン音を響かせて姿を現した。やや遅れて茶色のミニバンのずんぐりした車体が現われ、その後ろに幌を掛けたジープが続く。路面の状態が極端に悪いので、車列のスピードは遅い。四十キロも出していないだろう。
黒畑は、マイクに向かってささやいた。
「デルタ スリー。こちらデルタ ワン。パーティーを始めろ。オーバー」
「了解。パーティを始める。レッツ ダンス!」
応答があった数瞬後、進行方向に向かって左側を走っていたバイクの兵士が、仰向けになってバイクから転げ落ちた。
バイクのエンジン音に紛れたのか、それとも消音器を装着して撃ったのか、銃声は聞こえなかった。乗り手を失ったバイクは、赤く錆びついたガードレールに激突して横転した。
次いで、右側を走っていたバイクが、見えない壁に突き当たったかの様に急停止し横倒しになった。運転していた兵士はバイクの前方に投げ出され、頭から地面に叩きつけられた。
耳障りなブレーキ音を立てたミニバンが、道路左側のガードレールに横腹を擦り付けて急停止した。後続するジープはミニバンの右側…つまり黒畑の潜む崖の真下に潜り込んで停止した。
「ちっ、まずい所に…」
黒畑は軽く舌打ちした。
敵に反撃する機会を与えず一気に叩き潰す。それが待ち伏せの要諦だ。その為には、指揮官を速やかに屠らねばならない。だが、敵の指揮官の乗ったジープはミニバンと崖に挟まれた形となり、全ての射線の死角に入ってしまっている。
「取り逃がすかもしれん」
漠然とした不安が脳裏をよぎった。
前を走るミニバンが急停止した。
「あぶねえっ!」
怒鳴り声を上げた三木は、ブレーキペダルを思い切り踏みつけると同時にハンドルを切った。ジープは急減速しながらミニバンの右側に出た。すぐ目の前に横転したバイクが見える。路面が、バイクのエンジンブロックから漏れ出たオイルで黒く光っていた。
前輪がオイルを踏んだ為にジープは右へ流れ、車体を崖に擦りつけるようにして漸く止まった。
「いったい、何が…」
「伏せろ!」
呆然として辺りを見回すさゆりの体を、安城が床の上に押し付けた。運転席の三木も、助手席の川口も体を屈める。
凄まじい銃撃が始まった。ジープの左側に止まっているミニバンの方から、ガラスが砕け散る音とドラム缶をハンマーで連打するような音が入り乱れて聞えて来る。
「バンディッツの襲撃?」
安城の体の下でさゆりが呟いた時、銃声が不意に止んだ。
「三木! バックしろ! バックだ!」
「は、はい!」
頭を屈めたままギアをバックに入れた三木は、床を踏み抜くほどの勢いでアクセルペダルを踏み込んだ。エンジンが咆哮し、ジープは猛然とバックを始めた。だが五,六メートルも動かぬ内に、車体は右に傾き停止してしまった。右前輪が路面の穴に落ち込んだのだ。
ビシリという音が聞こえ、フロントウィンドーに蜘蛛の巣のようなヒビが走った。
「ぐげええええ~」
助手席の川口が、怪鳥のような悲鳴を上げた。その悲鳴は、すぐにゴボゴボという不気味な音に変わった。肺をやられたのだろう、血に染まった真っ赤な泡が、口から止めども無く流れ出ている。
「止まるな! 逃げるんだ!」
「判ってます!」
安城の怒鳴り声に怒鳴り声で応じた三木は、必死の形相でアクセルを踏み込んだ。
再びエンジンが咆哮した。スリップ音と薄煙を上げながら前輪が穴から抜け出し、ジープはバックを再開した。
激しく揺れる車内で、相次いで体を起こした安城とさゆりは、遠ざかって行くミニバンに視線を向けた。
ミニバンのウィンドーガラスは全て砕け散り、車体は穴だらけになっていた。車内は血煙で赤く霞み、血だらけの手が半開きになったドアからだらりと垂れ下がっている。
「くそったれえ~!」
三木は、大声で喚きながらハンドルを右に左に切り続けた。何度もガードレールや崖にぶつかった後、ジープは漸く道路に対して直角になるまでに向きを変えた。
目の前に、潅木が生い茂るなだらかな斜面が広がっていた。その斜面の一部が不意に盛り上がり、銃を構えた数名の敵兵が姿を現した。
「三木、伏せろ!」
安城が、怒鳴り声を上げた。
後部座席の背もたれに上体を押し付けた安城は、広げた両足を運転席と助手席の背もたれに突っ張らせた態勢で06式小銃を構えていた。
「死ねっ!」
銃口を敵兵に向けると同時に引き金を引く。軽快な射撃音が響き、フロントウィンドーのガラスが外に向かって砕け散る。着弾の土埃と舞い散る草の葉の中で、二人の敵兵が血しぶきを上げて倒れた。
「ちっ!」
残る敵兵に銃口を向けかけた安城は、自分の銃がホールドオープンしていることに気付き舌打ちした。
助手席の背もたれに上体を押し付けたさゆりが、怒鳴り声を上げた。
「撃ちますっ!」
必死の形相で、サブマシンガンの引き金を引く。
バースト射撃の間歇的な銃声と共に、土埃と草の葉が再び舞い散る。十五発の弾丸全てを吐き尽くした時、残った敵兵も草の中に沈んでいた。
「三木、急げ!」
「三木さん。急いでっ!」
安城とさゆりが、同時に怒鳴り声を上げた。
「判ってますっ!」
三木は、ハンドルにしがみついた。またもや崖とガードレールに車体をぶち当てながら方向転換を終えると、思い切りアクセルを踏みつける。
カーブに差し掛かったその時、一発の銃弾が、ビニール製のリアウィンドーを突き抜けて飛び込んできた。
「ぐっ!」
炭酸飲料の栓を抜くような鈍い音と低い呻き声が重なる。
「弘一さん!」
さゆりが、悲鳴混じりの声を上げた。苦痛に顔を歪ませた安城の左肩から血が吹き出している。
「大丈夫だ。前を…」
「は、はいっ!」
慌てて前方に視線を向ける。カーブを曲がり終わって開けた視界のすぐ先に、銃を構えた数名の敵兵が道を塞ぐようにして立っていた。
「邪魔よっ!」
叫びながら引き金を引く。着弾の土埃が路上に立ち昇り、敵兵の態勢が崩れた。
「どきやがれっ!」
三木が、敵兵めがけてハンドルを切った。鈍い音に絶叫が重なり、敵兵の体が道路脇の荒地に転がり落ちていく。
さゆりは、視線を更に前方に向けた。
二百メートルほど先の路上が、土嚢と木柵によって塞がれていた。二十名近い敵兵が土嚢の蔭に身を潜め、こちらに銃を向けている。
素早く車内を見まわす。安城は蒼白な顔をして座席にもたれていた。川口は助手席にうずくまったまま身動き一つしない。
(守川町には戻れない。ならば…)
一瞬の間を置いて、大声で叫ぶ。
「三木さん。右へ! 右へ行って!」
「判った!」
三木は、ハンドルを右へ切った。県道脇に広がる荒地に、ジープを勢い良く突っ込ませる。
ジープを追って、銃弾が飛んで来た。
炭酸飲料の栓を抜くような鈍い音が、また聞こえた。さゆりは視線を横に、次に前に向けた。三木の横顔が苦痛に歪んでいる。
「三木さん!」
「大丈夫、…大丈夫だ」
ハンドルを握り締めたまま、三木はニヤリと笑った。
ガードレールや崖に車体をぶつけながら方向転換を終えたジープは、梓橋方向に向けて急加速を始めた。
「逃がさん!」
黒畑は、咄嗟に小銃を構えた。
ジープがカーブの入り口に差しかかった時、後部のビニール製の窓越しに人影が見えた。その人影に狙いを定め引き金を引く。手応えはあった。が、ジープはそのままカーブを曲り、視界から消えた。
銃を投げ出し、マイクに向かって叫ぶ。
「デルタ ツー。こちらデルタ ワン。ダンサーが逃げた。逃がすな!」
「デルタ ツー。了解」
カーブの向こうから、銃声が重なり合って聞こえた。やがて銃声は止み。申し訳なさそうな声がイヤホンから流れた。
「デルタ ワン。こちらデルタ ツー。ダンサーは東へ逃げた。追うか? オーバー」
「東? 春高山へか? …いや、いい。無用だ。オーバー」
マイクから口を離し、溜息を漏らす。
(これだけ万全の態勢で待ち伏せしていたのに、結局、敵の指揮官に逃げられてしまった。蒼い水のメンバーの中から、少しはマシな奴を選りすぐったつもりだったが・・・)
「所詮は、寄せ集めか…」
もう一度溜息を漏らした黒畑は、再びマイクに口を近づけた。
「各小隊、こちらデルタ ワン。パーティーは終わりだ。後片付けをしろ。三十分後に撤収する」
荒地を通り抜けたジープは、雑草や潅木に半ば埋もれた林道に入り込んだ。くねくねと続く坂道を、エンジンを唸らせて登って行く。
さゆりは、サブマシンガンを構えたまま後方を監視していた。
時折、安城の方に気遣わしげな視線を向ける。林道に入り込んだ直後に当てた止血帯のお蔭で出血は収まってはいるが、危地を脱した安堵と傷の痛みで安城は気を失っていた。
十分ほど林道を進んだ所でジープは突然停止し、同時にエンジンも止まった。
「三木さん、どうしたの? 燃料切れ?」
答えは無かった。
慌てて振り向くと、三木はハンドルを抱きかかえるようにして突っ伏していた。顔色は紙のように白く、右足の太腿から下が真っ赤に染まっている。静脈か動脈か、とにかくいずれかの太い血管が銃弾によって傷つけられたのだ。
「三木さん!」
「あ、ああ…」
大儀そうに顔を上げた三木は、虚ろな視線をさゆりに向けた。
「俺、駄目みたいだ。寒い…」
「そんな…。三木さん、しっかりして!」
三木は、紫色になった唇を小さく動かした。
「何? 何が言いたいの!?」
さゆりは、三木の口元に耳を寄せた。
「か、かあさん…」
絞り出すように言うと、三木はガクリと首を落とした。
「三木さん! 三木さん!」
肩を揺すった。だが返事は無かった。
湿った風が枠だけになったフロントウィンドーから車内に吹き込み、幌をバタつかせながら通り抜けて行く。血と硝煙の匂いが、ほんの少しだけ薄らいだ。
以下次号