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爽やかな秋風が吹く今日この頃、またしても更新を忘れてました。
蒼い水 作 FKRG
第6章 流れゆく水 4
銃弾が、凄まじい音を立ててトラックのボディに穴を穿って行く。さゆりは、歯を食いしばって銃弾の嵐が去るのを待っていた。
不意に銃撃が止んだ。
「うおおお~っ! くそったれえ~っ!
横にしゃがみ込んで居た兵士が、大声で喚きながら立ち上がり、でたらめに銃を撃ち始めた。それにつられて他の兵士達も、てんでに発砲し始める。彼らの顔は皆、恐怖に引きつっていた。引き金を引いていなければ、恐怖を抑え切れないのだ。
(的になるだけだわ。止めなきゃ)
銃撃を制止しようと手を伸ばす。その時、道路向こうから声が聞こえた。視線を走らせる。安城だった。こちらに向かって、何か叫んでいる。
「弘一さ…」
愛する男の名前を口にした途端、再び敵の銃撃が始まった。トラックとその周辺に無数の銃弾が降り注ぐ。ハンマーでドラム缶を連打するような音が鳴り響き、路面からもうもうたる土煙が立ち昇る。
その音と煙によって、弘一の声と姿は掻き消されてしまった。
「ぐげ~!」
隣で銃を撃っていた兵士が、絶叫を上げて仰向けに倒れた。両腕が根元から吹き飛び、血が噴水のように迸っている。
「ぎゃああ~! ひいい~!」
両腕をなくした兵士の断末魔の悲鳴を嘲笑うかのように、妙に間延びした口笛が幾つも聞こえてきた。それは、複数の榴弾が空を切り裂く音。
一瞬の間を置いて、トラックの向う側で続けざまに爆発が起こった。一発目の爆発で、車体が見えないロープで吊られたかのようにふわりと浮き上がり、二発目の爆発で大きく傾ぐ。
そして三発目の爆発で、車体は、さゆりに向かって倒れて来た。
(潰される!)
さゆりは、反射的に前に跳んだ。ごく低い弧を描いて宙を飛んで胸から着地した時、爪先から僅か数センチ後の地面にトラックのバンパーが落下した。まさに間一髪。だが、圧死から逃れ得た喜びを感じる暇など無かった。
鈍い音と共に、さゆりの脳天に激痛が走った。頭から民家の壁にぶつかったのだ。目の前が真っ暗になり、ついで無数の白い星が飛んだ。
さゆりは、子供っぽいミニのワンピース姿で歩いていた。歩くたびに、三つ編みにした長い髪が背中で揺れ動く。
並んで歩く、やはりワンピース姿の市木亜衣が、不安げな声でささやいた。
「さゆりちゃん、なんだか怖いよ。そろそろ引き返さない?」
「大丈夫だよ、亜衣ちゃん。もう少し、行ってみようよ」
この日、老人と子供しか居ない守川町から活気だけはやたらと有る神白の街に遊びに来たさゆりと亜衣は、小さな冒険心を起こして裏街に入り込んでいた。
賑やかな表通りから狭く曲がりくねった路地を幾つも辿り、裏街の更に奥へと足を踏み入れると、雰囲気は一変した。
狭い道路の両側には廃屋同然の家屋が連なり、路上には変色した吐瀉物がこびり付き、砕けた酒瓶や注射器の破片が至る所に転がっている。饐えた臭いが、どんよりと辺りを覆っていた。
人は、何人もいた。だが、“まともそうな者”など一人も見あたらない。濁った目を瞬かせながら、崩れかけた壁にもたれている男。地べたにしゃがみ込んだまま、生気の無い顔でボンヤリと空を見上げている女…。希望どころか、人生全てを放擲してしまった無気力な顔があるだけだった。
「さゆりちゃん、戻ろう」
「…そうだね。戻ろうか…」
さすがに不安を感じたさゆりが足を止めた時、しゃがれた声が背後から聞こえた。
「何処に戻るんだい? お嬢ちゃんたち」
「えっ!?」
振り向いた二人の目の前に、右手に酒瓶をぶら下げた中年男が下卑た笑いを浮かべて立っていた。薄汚れた防衛軍兵士の軍服を着ているが、上着は羽織っただけで袖は通していない。
「せっかくここまで来たんだ。オジさんと遊ぼうじゃないか」
黄ばんだ乱杭歯が覗く口から酒臭い息を吐きながら、男はフラフラした足取りで近づいてきた。
「結構です! …行こう、亜衣ちゃん」
怯える亜衣の手を取ったさゆりは、男とは反対の方向へ歩き始めた。が、すぐに、その足は止まった。どこからとも無く二人の男が現われ、さゆり達の前に立ち塞がったのだ。二人とも二十四,五歳ぐらいか、垢じみた軍服をだらしなく着てニヤニヤ笑っている。
「オジさんが嫌なら、オニイさん達と遊ぼうじゃないか」
右側の男が、下卑た声で言った。息が、吐き気を覚えるほどに生臭い。
「たっぷり可愛がってやるよ」
麻薬でもやっているのだろう。青白い顔をぐらつかせたもう一人の男が、気味の悪い猫なで声を出す。
「亜衣、走るわよ!」
「うん!」
くるりと向きを変えたさゆりは、中年男めがけて駆け出した。亜衣もその後に続く。
「おい! 止まれ!」
両手を広げて二人の行く手を阻もうとした中年男を、さゆりは思い切り突き飛ばした。
「うわ!」
呆気ないほどにあっさりと地面に転がった中年男の横を、一目散に駆け抜ける。
「待て! このガキ!」
「逃がしゃしねえぞ!」
声に追われながら狭い路地を駆け抜け、幾つかの角を曲がる。だが、男達は執拗に追いかけて来た。
「きゃっ!」
あと二つ角を曲がれば表通りに出ると言う所で、焦りと恐怖に足をもつれさせたさゆりは路上に転んでしまった。右膝に激痛が走る。
「さゆりちゃん!」
亜衣が立ち止まった。
「亜衣ちゃん、逃げて! 早く!」
(嫌がる亜衣を無理矢理誘って、裏街の冒険に付き合わせたのは私。亜衣だけは、逃がさなきゃ)
「亜衣ちゃん、助けを呼んで来て!」
「で、でも…」
「私は大丈夫。だから、早く行って!」
「う、うん」
蒼白な顔で頷いた亜衣は、表通りに向かって駆け出した。
「逃がすな! まだガキだが、結構上玉だ!」
「オッさん、そっちの活きの良いのを捕まえとけ!」
二人組は、さゆりをそのままにして亜衣の後を追った。
「まかせとけ。…へへへ、お嬢ちゃん、随分、威勢が良いなあ」
先程突き飛ばした中年男が、薄笑いを浮かべながら近づいて来た。
「いや! 近寄らないでっ!」
声が震えた。顔から血の気が引いていくのが自分でも判る。
さゆりは、尻餅を付いたまま後ずさりした。ワンピースの裾が捲れ上がり、白い太腿が剥き出しになる。それが中年男の劣情を更に煽った。
「へへへ、ガキの癖に色っぽい脚をしてるじゃないか。愉しめそうだぜ」
「来ないでよ!」
涎を垂らさんばかりの表情を浮かべた中年男が一歩近づく度に、後ずさりする。だが、路地は狭い。背中が壁に当たった。もう逃げ場は無い。
「さあ、立ちな。お嬢ちゃん」
中年男の手がさゆりの肩に触れかけた時、男の声が聞えた。
「おい、あんた。そんな子供相手に何をしている」
二人から数歩離れた所に、長身の若い男が立っていた。一文字に結んだ唇、直線的な鼻梁、濁りの無い目。着古してはいるが、手入れの行き届いた陸上防衛軍士官の制服を、キッチリと着込んでいる。
「なんだ、おまえっ!?」
中年男の声と表情が凶悪なものに一変した。
「あんた、防衛軍の兵士だろう。子供を苛めて何が楽しい。恥ずかしくないのか?」
「やかましい! 戦争は終わったんだ。防衛軍なんてもう存在しない。いつまでも士官ヅラするんじゃない。この若造が!」
中年男は、喚き声を上げて若い男に殴りかかった。若い男は、その拳をかわすと同時に中年男の腕を掴み、足を払った。
「うわっ!」
地響きを立てて頭から地面に倒れた中年男は、そのまま動かなくなってしまった。
「お嬢ちゃん、立てるかい?」
若い男は、油断なく周囲を見まわしながらさゆりに手を差し伸べた。
「は、はい」
おそるおそる伸ばしたさゆりの小さな手を、若い男の大きな手が優しく包み込むように握り締めた。その手の温もりは、さゆりに深い安堵感を与えた。
「有難うございます」
立ち上がったさゆりは、男に向かって深々と頭を下げた。そして顔を上げた時、初めて男と視線が合った。
さゆりの顔をまじまじと見つめた男の顔に、軽い驚きの表情が浮かんだ。慌てて視線を外した男は、何かを振り払おうとするかの様に首を強く振り、そして小さく溜息をついた。
「礼を言われる程の事じゃない。それより、膝から血が出ている。これを巻きなさい」
ぶっきらぼうな口調で言い、ハンカチを差し出す。そのハンカチも制服同様使い古されたものだったが、綺麗に洗濯されキチンと畳まれていた。
「君の友達だろう? 君と同じくらいの女の子が助けを求めて来た。…ああ、心配ない。その子を追いかけてきた二人組は、俺の友人が“片付けた”から…」
さゆりが膝にハンカチを巻きつけている間に、男は口早に説明した。だが、その視線は相変わらずさゆりから外したままだ。
「本当に有難うございます。本当に…」
男は照れくさそうに笑った。
「そんなに感謝されるとこっちが困る。さあ、表通りに戻ろう。ここは、君達のような子供が来る所じゃない」
男はクルリと踵を返し、表通りに向かって歩き始めた。
表通りに出るまでの間、さゆりの心臓はドキドキと脈打ち、頬は熱を帯びた様に赤らんだ。男に何か話しかけようと思うのだが、どうしても言葉にならない。男も口を噤んだままで、さゆりに話し掛けようとはしなかった。
結局、何も話さぬ内に、亜衣ともう一人の男が待つ表通りに出てしまった。さゆりと亜衣が抱き合って喜んでいる間に、彼女たちを救ってくれた二人の男は雑踏の中に消えた。
さゆりを救ってくれた男の名は安城弘一。亜衣を救ってくれたもう一人の男は桜良一。二人とも旧陸上防衛軍の士官で、今は幹部としてKCDに在籍している。
安城がさゆりを救いに行っている間に、亜衣が桜から聞き出していたのだ。
「私、桜さんのこと好きになっちゃった」
帰り道、亜衣は目を輝かせてさゆりに言った。
「顔中髭だらけで、ちょっと見た目は怖い感じだけど。話をしてると、とっても楽しい人なの。それに、凄く強いし。私を追っかけてきた二人組を、あっという間に投げ飛ばしちゃったのよ!」
いつもは控えめで口数の少ない亜衣だったが、桜のことが、余程、気に入ったのだろう。守川町に帰ってからも、桜のことばかり話した。そしてさゆりはと言えば、亜衣の話に生返事をするばかりで、ボンヤリと安城の事を考え続けていた。
さゆりの顔を見た時の、安城の顔に浮かんだ驚きの表情。そして、その後に見せた寂しそうな顔。
「私に似た誰かを思い出したのだろうか? 思い出したくない誰かを?」
さゆりの顔を見た瞬間の安城の脳裏に、それまで心の奥底に封印していた玲子との思い出が蘇った事など、その時のさゆりには知る由も無かった。だが、“女の直感”としか表現し得ない感覚で、さゆりは安城の寂しさの原因を的確に感じ取ったのだ。
「あの人の寂しさを、出来ることなら私が癒してあげたい」
母性愛と言うべきものなのか・・・。それとも、危機一髪の窮地を救ってくれた安城を、少女らしい純粋さで“白馬に乗った王子様”だと思い込んだのか…。
どちらにせよ安城の存在は、さゆりの心の中で日に日に大きくなっていった。
亜衣は、桜宛に礼の言葉を添えたラブレターを送った。さゆりも安城宛に送った。安城から借りたハンカチ…何度洗い直しても、さゆりの血が微かなシミとなって落ちないハンカチを添えて…。
だが、返事は来なかった。
その当時、KCDの幹部に任命されたばかりの安城と桜は休む間も無い激務に追われており、少女達から送られた手紙の返事を書く余裕など時間的にも精神的にも無かったからだ。そして更に言えば、神白の裏街で救った時点でのさゆりと亜衣は、彼らから見れば余りに子供過ぎ、恋愛の対象とは見なされなかったのかもしれない。
だが、一年以上の月日が過ぎても、さゆりは安城のことを、亜衣は桜の事を忘れなかった。十八歳になった二人は、揃ってKCDに入隊した。僅か一ヵ月で兵士としてのイロハを叩き込むKCDの基礎訓練は決して楽な物では無かったが、二人は歯を食いしばって耐え抜いた。基礎訓練が終わると、さゆりは安城のC中隊へ、亜衣は桜のF中隊へ、それぞれ中隊長付き護衛兵として配属された。
そして、さゆりと安城は結ばれた。亜衣と桜は、きっと“あちら”で結ばれているに違いない。
何かが割れる音が足元から聞こえ、さゆりは慌てて視線を足元に落とした。軍靴の下でガラスが粉々に砕け散っている。
「ここは?」
顔を上げ、キョロキョロと周囲を見回す。
目の前に、今にも崩れそうなほどに傾いた廃屋が建っていた。その壁に嵌め込まれた窓ガラスに、小柄な兵士が映っている。薄汚れた戦闘服を着込み、へこみと傷だらけのヘルメットを被った女兵士。さゆり自身の今の姿だ。
「ここは裏街? いつの間に、こんな所に?」
爆発のショックで一時的に記憶が混乱したさゆりは、思い出の場所に無意識の内にやってきたのだ。安城と初めて出会った場所・・・神白の裏街へ。
「動くな!」
背後から男の声が聞えた。さゆりの体が硬直する。
「両手を頭の上で組め。ゆっくりと、な」
サブマシンガンはどこかに落としてしまっていた。さゆりは自分の迂闊さを責めながら、声に従うしかなかった。
「よし、こっちを向くんだ」
命じられた通り振り向くと、数メートル先に三人の男が立っていた。三人とも腕に青い布を巻き、銃を構えている。
「なんだ。えらく小柄な奴だと思ったら、女じゃないか」
リーダー格らしいがっしりした体つきの男が、薄笑いを浮かべながら近づいて来た。獣のようにギラついた目が、あの日、さゆりと亜衣を襲おうとした男達とそっくりだった。
「それに、良く見ると、なかなかの美人じゃないか」
男は、いきなりさゆりを抱きすくめた。
「いや! 離して!」
悲鳴を上げて体を捩じらせたさゆりの頬に、平手打ちが襲って来た。ヘルメットが吹っ飛び、乾いた音を立てて路上に転がる。
「なにが、“離して”だ。おまえは俺達の捕虜なんだぜ。反抗すると撃ち殺すぞ」
「…」
さゆりは無言のまま男を睨みつけた。
「何だ、その目は。生意気な小娘だな」
男の顔に残忍な表情が浮かび、肩が動いた。さゆりのみぞおちに拳がめり込む。
「ぐ…」
呻き声を漏らし、さゆりは気を失った。
「おい、どうする気だ? その娘」
ぐったりしたさゆりを肩に担ぎ上げた男に、仲間の一人が訝しげな声で尋ねた。
「決まってるだろ。愉しませてもらうのさ。命懸けで戦った挙句の果てがこの負け戦だ。何か一つくらい良い目を見てもバチは当たるまい?」
さゆりの太腿を撫でさすりながら、男は下卑た笑いを浮かべた。
「そ、それは、そうだが…。もし、そいつの仲間が救いに来たら」
「ここは街の中心部から離れている。つまり、戦闘の中心からも離れているって事だ。誰も来やしないさ」
「だが、そいつはここまで来たんだぜ」
「大方、怖くなって逃げてきたんだろうよ。ま、とにかく俺は愉しませてもらう。おまえ達はどうする? 律儀に負け戦に励む気か?」
「いや、俺も愉しみたい。女を抱くなんて久しぶりだし」
「俺もだ」
二人の仲間は慌てて同意の声を上げた。
「よ~し、決まった。あそこに潜り込もうぜ。この辺じゃ一番まともな建物みたいだからな。言うまでもないだろうが、俺が最初に味見をさせて貰う。その間、おまえ達は見張りをしてろ。どっちが二番目かは、ジャンケンでもして決めな」
さゆりを肩に担いだ男は、十メートルほど先に建っているコンクリート造りの廃屋に向かって歩き始めた。
以下次号