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蒼い水 作 FKRG
第2章 待ち伏せ4
廊下に通じるドアのロックを確認した男は、デスクの横に置いたロッカーの扉を開けた。
ロッカーの中には、両の掌に載るほどの大きさの無線機と灰白色の小さな箱が並んでいた。箱の左側面には屋上のアンテナから引いたケーブルが差し込まれており、右側面には無線機のアンテナコネクタから伸びたケーブルが繋がれている。
灰白色の箱の通称名称はウェイブスクランブラ―。半年前、雪の積もった廃墟の広場で、男が渋沢に渡した箱と同じ物だ。
ウェイブスクランブラ―は、二つの機能を持っている。
一つは、無線機が発信する電波に特殊なノイズを付与することによって、電波そのものを暗号化する機能。もう一つは、同種のスクランブラーを介して送られて来た暗号電波からノイズを除去する機能だ。この装置を介さずに暗号化された電波を受信しても、単なるノイズとしてしか捉えられない。
男は、無線機の通信ポートとデスクの上に置いたノートパソコンの通信ポートをケーブルで繋いだ。イスに座り、パソコンのキーボードを叩く。数瞬の間を置いて、モニタ画面上に通信ソフトの送受信欄が表示された。
無線機の電源を入れ、チューニングダイヤルを廻して定められた周波数に合わせる。潮騒のようなノイズが、無線機のスピーカーから流れ出た。
「そろそろだな」
腕時計に視線を走らせた時、それまで聞こえていたノイズが不意に途切れ、代わりに口笛のようなカン高い連続音が流れ出した。
連続音はきっかり五秒間流れて消え、受信欄に文字が浮かび上がった。
“こちらは蒼い水。協力者、応答せよ”
男はキーボードに指を走らせ、送信欄に文字を並べた。
“こちらは協力者、受信準備良し”
エンターキーを叩き、返信する。
微かな電子音と共に、画面上に黒く塗りつぶされた円が表示された。“データ受信開始”の白抜き文字が、その中央に浮かび上がる。
円の色はすぐに黒から赤に変わり、円の中の文字も“受信中 0%”に変わった。“0%”はすぐに“50%”になり、二,三秒で“100%”になった。
円の中の文字が“データ受信終了”に変わると同時に、錠前をかたどったアイコンがモニタ画面の片隅に表示された。パスワードによってロックされたデータファイルだ。
パスワードを打ち込みファイルを開くと、画面一杯に神白攻略作戦の詳細とタイムスケジュールが表示された。
「さすが渋沢さん。見事な作戦だ」
一読して低く口笛を吹いた男はファイルを閉じ、再び送信欄に文字を並べた。
“内容は確認した。作戦の成功は確実と思われる。通信終了”
エンターキーを力強く叩き、送信する。
間髪を入れずに、受信欄に文字が浮かびあがった。
“祝杯の用意を頼む。通信終了”
「ええ、用意しておきますよ。渋沢さん」
ニヤリと笑うと、男は無線機の電源を切った。
受信したデータをフロッピーディスクにコピーしてから、パソコンのハードディスク内に残っていたオリジナルファイルと通信ログを消去する。
「さて、“あの人”に、このフロッピーを届けなければ」
フロッピーディスクを胸ポケットに収めた男は、勢い良くイスから立ち上がった。
部屋を出た男は、廊下を挟んで斜め向かいにあるKCD本部通信室のドアを一瞥した。
(自分達自身への攻撃計画が、自分達が設置して管理しているアンテナを通して送られて来たなどとは、あの部屋の連中は夢にも思わないだろうな)
不敵な微笑を浮かべた男は、ゆっくりした足取りで歩き始めた。歩きながら、襟元の乱れを直す。右襟に付けたKCDのバッジと左襟に付けた少尉の階級バッジが、窓から差し込む日差しを浴びて鈍く光った。
*
ひび割れだらけのアスファルト道路から立ち上る陽炎が、周囲の風景を歪めていた。真夏を思わせる暑さ。歩いているだけで汗が噴き出る。
「隊長、少し休みましょうや。暑くてたまりませんぜ」
「バカ野郎! 何を言ってやがる。昼食休憩が終わってから二時間も経ってないぞ。この軟弱者がっ!」
部下の提案に、西部遊撃隊隊長 浅井京一は怒鳴り声で応えた。だが、そう言った浅井自身の足取りもけっして軽いとは言えなかった。太り気味の体に着込んだ戦闘服が、流れ出た汗で水を被ったようにびっしょりと濡れている。
「東部遊撃隊は、ついて来てるか?」
下ってきたばかりの坂道を振り返りながら、部下に問い掛ける。
「おおよそ二キロ後方です」
「二キロか…」
浅井は、ニタリとほくそえんだ。
「部隊間の間隔が広がりすぎるのもマズかろう。東部遊撃隊が追いつくまで小休止する。各自、休め!」
兵士達は、歓声を上げて道路脇の木陰に転がり込んだ。浅井も、枝を広げた松の根元に座り込む。
額に浮いた汗を拭い、水筒を取り出す。だが、カラカラに乾いた喉に流し込んだ水は薬臭く、そして苦かった。
「ちっ!」
しかめ面を浮かべて水筒を放り投げた浅井の背後から、揶揄を含んだ低い声が聞こえた。
「その水は、それほど不味いのか?」
「誰だっ!?」
慌てて振り向いた視線の先に、薄笑いを浮かべた男が立っていた。先遣部隊隊長の黒畑だ。
「なんだ、黒畑か…。もう少しで撃つ所だったぜ」
憮然とした表情を浮かべた浅井は、振り向くと同時に引き抜いていた拳銃をホルスターに戻した。
「驚かして済まなかったな。ま、これでも飲めよ。神白の水だ」
浅井の横に腰を下ろした黒畑は、自分の水筒を差し出した。
「神白の水?」
水筒を受け取った浅井は、訝しげな表情を浮かべながらも一口飲んだ。
「美味い!」
目を丸くして感嘆の唸り声を漏らすと、水筒を両手で鷲掴みにした。ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干す。
「美味いだろう。神白を手中に収めれば、いつでも飲めるぜ」
「そいつは楽しみだ。ところで、合流点はもう少し先のはずだが?」
「来るのが遅いんでな、迎えに来たのさ。…ところで、タバコあるか?」
「タバコ? ああ、あるぜ」
ポケットを探った浅井は、黄ばんだ袋を引っ張り出した。
「吸えよ。最後の一本だ」
「…」
黒畑は無言でタバコを受け取った。火をつけて一口吸い、煙を吐き出す。
「また別れのタバコか」
低く呟き、火のついたままのタバコを浅井に返す。
「ん、何か言ったか?」
「いや、何でも無い。独り言さ」
片手を軽く振った黒畑は、道路脇の木陰にだらしなく寝そべっている兵士達に視線を向けた。
(WW3の頃、俺が率いていた部下達はジャングルの中を一日中歩いても音を上げなかった。それに比べて、こいつらときたら…。ま、しかし、仕方が無いか。俺と同じくらい暴れまわっていた浅井ですら、今はこのザマだ。こんな、お世辞にも精鋭とは言えない烏合の衆で、正面切ってKCDと戦ったらどうなる事やら。俺達には、失う物も守るべき物も無い。だが、KCDには神白の街と住民という守るべきものがある。“F中隊を壊滅させることで俺達の戦闘能力を過大に評価させ、神白の住民とKCD兵士の戦意を削ぐ”という渋沢の作戦が図に当たれば良いが、もし逆に彼らの敵愾心を煽るだけの結果になっていたとしたら、最後に凱歌を揚げるのは…)
「おい黒畑、もう無いのか? 神白の水」
浅井の声に、黒畑の思考は中断された。目の前に、三分の一程の長さになったタバコが突き出されている。
「あるぜ」
もう一本の水筒を渡し、代わりにタバコを受け取った。唇が焼けそうになるまで吸い、煙を吐き出す。
吐き出した煙は、森の奥から吹いて来た風に流されて拡散し消え去った。
*
「最後に言っておこう。今日ここに埋葬された六名に、身寄りは一人もいない。では、彼らは誰の為に戦い、何を守る為に死んだのか? 我々の為に戦い、我々が住む神白を守る為に死んだのだ。我々は、それを忘れてはならない」
島崎の演説が終わると、C中隊兵士六名の合同葬儀の為に集まった人々は、黙々と慰霊塔の前に置かれた焼香台に進んだ。
静かに手を合わせる彼らの表情には、深い悲しみと、それ以上に深く激しい怒りの色が浮かんでいた。
「副司令。入隊希望者がこの二日間で四百名を越えました」
KCD参謀 梨村満少尉が、KCD副司令官 川村翔中尉に、そっと耳打ちした。
「即戦力として使えそうか?」
川村は、振り向きもせずに質問した。
「即戦力? 銃を扱えるか、という観点で言えば、ほぼ全員ですが…」
「その内、軍務経験がある者は?」
「百名、というところです」
「良いだろう。その百名、直ちに入隊させろ。適性を確認した後、半数は風力発電所の守備に就かせろ。残り半数は、補充兵として各中隊に配備するのだ」
「は、それではA、E中隊に各十名、C、D中隊に各十五名ずつ配備します」
AからGまでのKCDの戦闘中隊の定員は百七十名とされている。だが、その定員数をなんとか保っているのはB中隊のみで、全滅したF中隊と休養中のG中隊を除くA、C、D、Eの各中隊は平均して二十名近い定員割れを起こしていた。
「残り三百名には基礎訓練を施せ。訓練担当は北川が良かろう」
「え!? 北川ですか? しかし、奴は今、謹慎中ですが…」
「北川の謹慎は解く。B中隊中隊長に復帰だ」
「は、はあ…」
頷いたも梨村の顔には、不安の色が浮かんでいた。
北川治少尉は、今年二十三歳になったばかりのKCD最年少の幹部だ。
中学を卒業すると同時に陸上防衛軍幼年学校に入学した北川は、幼年学校を卒業した後、士官学校に入学した。そして合計五年間の軍事教育を受けた後、川村に率いられて神白市の地下燃料庫守備隊に編入され、そのまま終戦を迎え現在に至っている。
軍人としては優秀な素質を持つ北川ではあるが、看過できない欠点があった。それは、部下に接する時の度を越した厳しさだった。
青春期を軍隊という縦割り社会の中だけで過ごし、それ以外の世界を知らない北川にとって、名前の下に“さん”を付けるか付けないかで上下の区別を行うKCDの雰囲気は余りに軽薄に感じられ、理屈ではともかく感情の上では到底容認できなかった。
だが、尊敬する上官でありKCDの実質上の指導者である川村がそれを容認し受け入れている以上、部下である北川も従わざるを得ない。
かくして、自分が属する組織の形態を容認できないのに容認せざるを得ないと言うジレンマに陥った北川は、その鬱憤を晴らす為に、部下たちに必要以上に厳しく接するようになった。
一ヵ月ほど前、北川の余りに過酷な訓練に耐え切れなくなった一部の兵士達がサボタージュ騒ぎを起こした。サボタージュの先頭に立った准尉は訓戒降等の罰を受けたが、北川も指揮官としての能力を問われた。B中隊隊長の任を解かれ謹慎しているのはその為だ。
「本当に北川に任せるんですか? 多数の脱落者が出る可能性が…」
「三百人が百人に減っても構わない。F中隊が全滅した今、我々の防衛態勢は大きくバランスを失っている。可能な限り多くの兵力を増強する必要はあるが、かと言って“銃を撃つのがやっと”などと言う兵士ばかり増やしても、却って足を引っ張られる結果となる。北川が施す訓練は確かに厳しいが、短期間の内にそれなりの質を持った兵士を養成する為には止むを得ん。そうだろうが?」
体ごと振り向いて答えた川村の顔には、軽い苛立ちの表情が浮かんでいた。
「はあ、はい。確かに…」
「ただし、脱落した者にも装備一式を支給しておけ。もしもの場合に役に立つ」
そこまで言って川村は、自分と梨村に注がれている多数の視線に気付いた。いつのまにか、二人を囲むように人垣ができていた。島崎の顔も、その中に混じっている。
一瞬、戸惑いの表情を浮かべた川村だったが、すぐに真顔に戻ると、落ち着いた声で梨村に命じた。
「とにかく、今は考え得る限りの方策を講じて置くべきだ。すぐに手配しろ」
「判りました。ただちに手配します」
敬礼もそこそこに梨村が去って行くと、不安げな表情を浮かべた島崎が川村に話しかけてきた。
「川村君。それほど事態は切迫しているのかね?」
「いえ、そういう訳ではありません。しかし、ここ二、三日の状況を踏まえれば、考えうる万全の態勢をとっておくに越したことはない、と判断したのです」
川村は、毅然とした声で答えた。
「そう、そうだな。君の言う通りだ」
頷いた島崎は、額に浮いた汗をハンカチで拭いた。
太陽は中天から西へ傾いていた。が、陽射しは依然として強かった。