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蒼い水 作 FKRG
第3章 監禁2
ホイッスルの甲高い音が神白中学校の校庭に鳴り響くと、それまで全力疾走していた二百人近い男女が一斉に地面に倒れ込んだ。土埃がもうもうと舞い上がり、辺りが白く霞む。
数秒の間を置いて再びホイッスルが鳴った。地面に倒れていた男女は立ち上がり、全力疾走を再開した。だが、十人程の者は、地面に倒れたまま起き上がろうとはしなかった。
「こら、おまえ達! いつまで這いつくばってるつもりだ。さっさと立って走れ! ケツを蹴られたいのか?!」
容赦のない怒鳴り声が響く。
何人かがのろのろと立ち上がり、よろめきながら走り始めた。だが、倒れたままの者がまだ数人残っている。彼らは荒い息を吐くだけで動こうとしなかった。
無理もない。もう三十分近くもダッシュアンドダウン…全力疾走しては地面に頭から滑り込み、また立ち上がって全力疾走をする…を繰り返しているのだから。
「おい、そこの寝そべってる奴。…おまえらだよ。失格、失格だ。とっとと出て行け」
怒鳴り声を上げたKCD B中隊中隊長 北川治は、ペッと地面に唾を吐いた。
「やれやれ。北川の奴、えらく張り切ってるなぁ」
赤錆びたフェンスにもたれて座り込んでいた福間が、間延びした声で呟いた。
「張り切るのも当然でしょ。謹慎を解かれた上に、川村副司令直々の命令で新入隊員の訓練教官を任せられたんだから」
福間の隣でノートパソコンのキーボードをせわしなく叩いていた高西が、モニタ画面を見つめたまま答えた。
「ちぇっ、これでまた訓練訓練とやかましくなるなあ。・・・ところで高西よ。さっきから何やってんだ?」
「システムプログラムのバージョンアップですよ。よし、完成」
満足げな吐息を漏らした高西がタバコを咥えると、火のついたライターが目の前に差し出された。
「お客さん。火をおつけしましょう。ついでに、私にも一本くださいません?」
ライターの持ち主である福間が、気持ちの悪い裏声で言った。
「う~ん、またですか? こないだから俺のタバコばっかり吸って…。もうあと一本しか残ってないんですよ」
「ケチな事を言わない!」
ぶつくさと抗議の声を上げる高西からタバコの袋を取り上げた福間だったが、袋の中身を覗き込んで素っ頓狂な声を上げた。
「あ~らら! ホントに一本しか無いや。悪いねえ、高西君」
口ほどには悪びれた風も無く、さっさと咥えて火をつけてしまう。
「やれやれ、あつかましいったら、ありゃしない」
諦念の溜息を高西が漏らした時、集合を命じる怒鳴り声が聞こえた。ダッシュアンドダウンがようやく終わったのだ。汗と砂で体中真っ白になった男女が、疲れ切った体を引きずるようにして、校庭の中央に集まり始めている。
「おやおや、百五十人ほどしかいないじゃないか。訓練始めたのは二時間くらい前だろ。三百人からいたのが半分になってる。この調子じゃ、日が暮れる頃には誰も残らないんじゃないのか?」
福間が呆れ顔で呟いた。
「ま、これ以上は減らないでしょ。誰かさんと違って根性がありそうだから」
「おや、高西君。誰かさんとは誰のことかな? まさか、俺の事じゃないよねぇ。もし、そうだったら、これ、分けてあげないよ」
福間が、ポケットから封を切っていないタバコの袋を取り出した。
「楠木のオヤジさんから貰ったんだ。誕生日に部下から贈られたらしい。吸い切れないからやるってさ。うらやましいねえ、人望がある人は」
手に持った袋をヒラヒラと振って見せる。
「あ~っ! 持ってるくせに、俺のばっかり吸って…。汚ね~」
「ふふふ、汚くて結構。なんとでも言ってくれ。…ん? 西脇がなんか騒いでるな」
フェンスを隔てた道路向う…五十メートルほど先の空き地で、西脇が何やら大声で怒鳴りながら手招きしていた。
「また無理な操作をして、ゴリアテのブレーカーをとばしたのか? しょうがないなあ。行ってやるか」
大儀そうに立ち上がった福間は、タバコの袋を高西に向けて放り投げた。
「やるよ。遠慮無く吸ってくれ」
「えらく気前が良いですね」
「まあ、たまにはな。と言いたいところだが、実はもう一袋貰ってるんだ」
「やっぱり。そんなことだと思いましたよ」
「ふふ、じゃあな」
愉快そうに笑った福間は、フェンスの裂け目を潜り抜けて道路に出た。西脇が待つ空き地に、のんびりした足取りで向かう。
一陣の風が吹き抜け、砂埃が舞い上がった。
「うっぷ」
高西は、慌てて目をつむった。
砂埃が収まった時、福間の姿は道路向こうの建物の蔭に消えていた。
*
ドアが音高く開き、吉野晴美が中隊長室に飛び込んで来た。
「中隊長、お話があります」
「なんだ、話とは?」
デスクに向かって書類を読んでいた秋川は、訝しげな視線を晴美に向けた。
「その前に、人払いをお願いします」
大股でデスクに近づいた晴美は、部屋の片隅に立つ杉原をチラリと見た。
「杉原、ちょっと外してくれ」
「は、はあ」
「ロビーにお茶が用意してあるわ。話が済むまで休んでいて下さいな」
言葉こそ丁寧だが、その口調と表情は「邪魔よ。早く出てお行き」と言っている。
不承不承という態で杉原が姿を消すと、晴美の形相が一変した。眉間に深い縦ジワを刻み、まなじりを吊り上げて秋川を睨み付ける。いつもの“柔和なオフクロさん”の雰囲気など微塵も無い。“子供をさらわれて怒り狂う母ライオン”の形相だ。
「敵に寝返ったという疑いで、安城少尉とさゆりを監禁したそうね」
デスクにドンと両手をついて身を乗り出した晴美は、“さゆり”の部分を特に強調しつつ、ドスの効いた低い声で詰問した。
秋川は、背中に冷や汗が流れるのを感じた。
(しまった。吉野が、小川を実の妹のように可愛がっているってことをうっかり忘れてた。安城はともかく、小川まで監禁したことを本気で怒ってやがる)
本来なら、「なんだその口のきき方は? それが上官に対する態度か!」と一喝するところだ。だが、“怒り狂う母ライオン”と化した今の晴美に、そんな階級論が通用するはずがない。却って、火に油を注ぐようなものだ。良くて平手打ち、悪くすれば拳骨が飛んで来るに違いない。
(勿論、平手や拳骨をかわす事は出来るし、逆にねじ伏せる事も出来る。だが、そんな事をすれば、晴美は一生、俺と口をきいてはくれないだろう。そんなこと、俺には耐えられない)
恋する男の哀しさ。結局の所、秋川は曖昧にうなずくしかなかった。
「あ、ああ…。まあ、な」
「寝返ったという証拠はあるの?」
「い、いや、証拠は無いが、その可能性がある、ということで…」
「あっきれたっ! 証拠も無いのに裏切り者扱いするわけ? あの二人が無実だったら…。いえ、絶対に無実よ。どう責任を取るつもり?」
「無実かどうかは、尋問してみなければ…」
「尋問? 幹部への尋問は、本部の許可が無ければ出来ないはずでしょ? 本部の許可は取ったの? いえそれより、安城少尉が到着した事を本部に伝えたの?」
痛い所を突かれて、秋川は首をすくめた。
「い、いや、まだ伝えてない」
「なんですって?」
声の凄みが更に増した。ほとんど唸り声だ。
「じゃあ、何の権限があって尋問するの? ・・・ははあ、判った。アンタ、街に帰りたくないんでしょ。冬眠中の熊みたいに、ず~と、ここに篭っていたいんでしょ。だから、安城少尉に裏切り者という濡れ衣を着せて監禁し、本部にも少尉が来た事を知らせないのね。アンタこそ裏切り者だわ。私、本部にこの事を連絡するから」
「ま、待て、これには事情が…」
踵を返そうとする晴美を、秋川は慌てて呼び止めた。
「事情? どういう事情なの?」
「今は言えない。いずれ機会を見て…」
「いずれ? いずれなんてあやふやな事では納得できないわ。今すぐ、ハッキリ言いなさいよ!」
怒鳴ると同時に、晴美は握り締めた拳をデスクに叩きつけた。ギシリと、デスクが抗議の軋み音を上げる。
「わ、判った。だが今はマズイ。明日、そう明日中に話す」
額に脂汗を浮かべながら、秋川はタドタドしく答えた。
「私にだけではなく。安城少尉にも話すのよ」
「安城にも、か?」
「あったりまえでしょ! それまで、二人にはロッジに居てもらうわ」
「ロッジ?」
「そうよ。林の中にあるロッジよ。外観はぼろいけど、中は掃除すれば充分に使える。私が今から綺麗に掃除する。さゆりも、きっと喜ぶわ」
いつのまにか晴美の顔つきは、“柔和なおふくろさん”に戻っていた。
「おい、ちょっと待て。なんで小川が喜ぶんだ?」
「あら、気づかなかったの? あの二人、好き合ってるのよ。特に、さゆりは安城少尉にぞっこんなの。私は、さゆりに幸せになって貰いたいの」
「ぞっこん、ねえ」
目を瞬かせる秋川を、晴美は再び睨みつけた。
「とにかく、あの二人にはロッジで過ごしてもらうわ。ああ、それから…。安城少尉が待ち伏せに遭ってから今まで神白で起きた事について、文書にして二人に渡しときますからね。それだけではなく、食事や必要な物を運ぶ度に、状況の変化を逐一伝えるわ。良いわね? もしダメなら、本部に…」
「わ、わかった。勝手にしろ」
「それでは、そういう事で。失礼します。中隊長」
晴美は、足取りも軽く部屋を出て行った。
「う、う~む」
秋川は、頭を抱え込んでしまった。
「これからどうする? 今まで通り“あの人”を信じて、ここに篭り続けるか? それとも安城と共に街に戻りバンディッツと戦うか?」
幾ら自問自答を繰り返しても、結論は出なかった。
以下次号