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蒼い水 第2章 待ち伏せ 6 アップします。
蒼い水 作 FKRG
第2章 待ち伏せ6
蒼い水主力部隊が木原中学校に到着したのは、日暮れ直前の時刻だった。テントの設営と食事の用意が行われる間、嵐のような喧騒が校庭中に響き渡ったが、一時間もするとその喧騒は嘘のように鎮まった。数日前から逗留していた本隊と合わせて二千名近い兵士達が、文字通り飢えた狼の群のようにガツガツと夕食を掻き込み始めたからだ。
活気に満ちてはいるが、些か殺伐としたその情景を見下ろす校舎の一室。元は職員室だったであろう部屋の中央に、細長いテーブルがコの字型に並べられていた。
十人ほどの男達と一人の女が、そのテーブルの周りに座っていた。男達は蒼い水の幹部。一人の女とは村辻香織だ。彼らと彼女の視線は、ホワイトボードの前に立ってやや甲高い声で喋り続ける男に注がれていた。
「以上の事から判るように、我々の全兵力を以ってしても、正面から神白を落とす事は不可能だ」
そこまで言って口をつぐんだ渋沢は、居並ぶ幹部達の表情を素早く見渡した。幹部達の目つきは真剣そのものだった。もっとも、「話しを聞くばかりで、尻がむずむずする」という顔をしている者も何人かは居たが…。
一昨日の夜、ここまで聞いて呉れたのは村辻香織だけだった。そして,これから先を聞いて呉れたのも彼女一人だけだった。
本来なら、もっとも熱心に聞くべき男…ゴリラのような体躯と筋肉で出来た脳味噌を持つ“我らが総帥”如月正一は、今夜も目を閉じている。最終作戦会議という重要な場でありながら、先夜と同じ様に香織の腰に腕を廻したまま居眠りしているのだ。
(まあ、イビキをかかれ無いだけマシか…)
苦笑いした渋沢は、再びボードに顔を向けた。
「では、神白攻略作戦を説明しよう。まず…」
「それを聞く前に一つ質問がある」
蒼い水の古参幹部の一人であり第一突撃隊の隊長でもある郷原が、右手を上げた。
「ん? どうぞ」
渋沢は、ニヤリと微笑んで促した。質問は大歓迎だ。
「参謀の説明の通りなら、神白は現在、千二百名のKCD兵士により守られている。そして、いざとなれば神白の住民全てが武器を取り、死に物狂いで抵抗するだろう。最終的には我々が勝利するにしても、こちらの損害も少なからぬものに成る。一体、我々の血を流すに値するものが神白に有るのか?」
「有るとも。幾つも、な」
満面に笑みを浮かべた渋沢は、傍らの小机の上に置いてあった水筒を掴んだ。ゆっくりとしたモーションで郷原に向けて放り投げる。
「まず一つ目はそれだ。飲んでみろよ。神白の水だ」
「神白の水?」
郷原は訝しげな表情を浮かべながら、受け取った水筒の栓を開けた。匂いを嗅いで一口飲む。
「こいつは…」
驚きの表情を浮かべたまま、ゴクゴクと水筒の水を飲み干す。
「ふう~、旨い。これほど旨い水を飲むのは久しぶりだ」
空になった水筒をテーブルに放り出し、口元を手の甲で拭いながら満足の吐息を漏らす。
「旨いだろう。なにしろ、その水には“錠剤”が入って無いんだからな」
「な、なに?! キ、キサマ、俺を殺す気か!?」
怒りと恐怖に顔を引き攣らせた郷原が、イスを蹴って立ち上がろうとした時、如月が目を閉じたままボソリと呟いた。
「静かにしろ。郷原」
「は、はあ」
不承不承という顔で渋沢を睨みつけながら、郷原はイスに座り直した。
「安心しろ、死にはしない。なぜなら、その水には有毒物質が全く含まれていない。“錠剤”を入れなくても、そのままで飲める“安全な水”なのだ。今から、それを証明しよう」
渋沢は、小机の下からトレイを取り出した。トレイには水を入れた二つの透明なコップが並んでいる。
「片方は、我々がいつも飲んでいる水。もう一方は、神白川から汲んできた水だ」
上着のポケットから小さな瓶を取り出し、軽く振って見せる。カラカラと乾いた音がした。
「コイツは日頃、俺達が使っている錠剤だ。周知の通り、この錠剤には二つの効能が有る。一つは、これを入れた水の色が何色に変わるかで、その水が飲用に適するかどうかを判断できる事。そして、ある程度までだが有毒物質を中和…つまり消毒だな。できる事だ」
米粒ほどの大きさの錠剤を瓶から取り出した渋沢は、一粒ずつ二つのコップに落とし込んだ。錠剤は、白い微小な泡を沸き立たせて水に溶け込んでいった。
やがて泡が消えると、片方のコップの水は死人の顔色のような蒼色に染まっていた。だが、もう片方の水…神白川から汲んできた水は無色透明のままだった。
二つのコップを見比べる男達の口から感嘆の声が漏れ、それが唱和して低いどよめきになった。
「この蒼色は…蒼い水は、“飲んでも死にはしない水“だという事を我々に教えてくれる。これがもっと濃い青や血のような赤色になれば、その水を飲んだ奴は三日も経たない内に死に至る。だが、神白の水はこの通り全く変化しない。透明なままだ。毒性物質が全く含まれていないからだ。わざわざ錠剤を入れて薬臭く、そして不味くする必要も無い。そのままで飲める。もっとも、俺は胃腸が少しばかり繊細だから煮沸するがね」
低い笑い声が部屋中に満ちた。小さく咳払いして、渋沢は言葉を続けた。
「従って、この“安全な水”によって潤されている神白の土壌は毒性物質を含んでいない事になる。神白で実る作物、神白川とその支流で獲れる魚介類、神白の住民が飼育している家畜…。全て安全だ。それに対して…」
渋沢は、蒼い水の入ったコップを取り上げ、一口含んだ。そして、すぐに吐き出した。
「この蒼い水は、この水によって育てられた作物や家畜は、確実に俺達の寿命を縮めている。幾ら錠剤を入れても有毒物質は僅かながら残り、そして体内に蓄積する。この国の水のほとんどが、錠剤無しで飲めなくなってから何年経つ? 蒼い水を飲み始めて以来、この国の人間が原因不明の病気で何十万、いや、何百万死んだ?」
部屋は静まりかえった。校庭で食事を摂る兵士達のざわめきが微かに聞こえて来るだけだ。
「神白の奴らは、この“安全な水”を飲み、この水で育てた作物や家畜を食べてのうのうと暮らしている。KCDなどという軍隊まがいの防衛組織を作り、俺達を街に入れようとしない。そう、奴らは待っているのだ。俺達が毒に犯されて死に絶えるのを、笑いながら待っている」
渋沢は、指先をホワイトボードに向けて短く叫んだ。
「ここでだ!」
その指先は、ホワイトボードに描かれた神白市の略図の一点…神白市街地を指し示していた。
「俺達は神白を手中に収める。“安全な水”を飲んでいる奴らを襲い、刃向かう者を殺し、奴らの持っている全てを奪い取る。水も、食料も、街も、そして女も…。全てをだ!」
ボードを見つめる男達の目は、飢狼のようにギラついていた。
*
急に吐き気を覚えた正田ひとみは、慌ててトイレに駆け込んだ。
便器に顔を突っ込むようにして吐き続ける。苦しさに涙が流れた。
ようやく吐き気が去ると、よろけながら洗面台に向かった。鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。目は赤く充血し、目元に隈が浮かんでいた。そして涙と鼻水。
「ひどい顔」
呟いた声がしわがれていた。
今日は蒸し暑かった。その暑さの中、市長の護衛兼秘書として合同葬儀に出席した。その疲れが出たのだろうか?
「いえ、ちがう。もしかして…」
最後に生理が有った日がいつだったか、思い出してみた。
「赤ちゃん? 浩介さんとの?」
慌てて顔を洗い、口をすすいだ。手早く髪を整えながら、もう一度、鏡を見つめた。喉元に、白く浮き上がった長さ数センチほどの傷がある。忘れようとしても忘れられない記憶が蘇ってきた。
一年前まで、ひとみは家族と共に大町市に住んでいた。
市の中心部は瓦礫の山と化していたが、ひとみの家は山間部にあった為に、戦争による被害は比較的少なかった。WW3が終わると、ひとみの父と兄を中心にして親戚や知人などが集まって小さな集落を作り、ひっそりと暮らしていた。
ある日の早朝、バンディッツが集落を襲撃した。山菜を採るために裏山に入っていたひとみ達の耳に、銃声と爆発音、そして喚声と悲鳴が聞こえてきた。
「おまえはここに居ろ。迎えに来るまで隠れてるんだ」
恐怖におののくひとみを残して、父と兄は集落に駆け戻って行った。
日が傾いた頃、バンディッツは集落に火を放って立ち去った。だが、父も兄も迎えには来なかった。
おそるおそる裏山を下りたひとみは、火を避けながら集落の中心部にある広場に向かった。そして、その場にへたり込んだ。
血に染まった死体が重なり合い、山を成していた。見知った顔ばかりだった。隣のおじさん、腕白な従弟、おしゃべりな叔母さん、働き者のおじいさん。広場に追い詰められ、殺されたのだ。
「うぐっ!」
胃が膨張し、そして収縮した。黄色い胃液が地面に飛び散る。
吐くだけ吐いてフラフラと立ち上がり、自分の家に向かってよろめきながら歩き出そうとした時、ガラガラと何かが崩れる音が背後で聞こえた。振り向くと、広場に面して建っていた集会所の扉が火に包まれて倒れていた。倒れた扉の上で、何かが燃えている。目を凝らして見ると、それは人の形をしていた。
ひとみは、またも地面にへたり込んだ。
誰かに無理矢理広げられたように口が開き、胃袋が膨張し収縮した。だが、もう胃液さえ出なかった。這いずりながら、その場を離れた。
漸く辿りついた自分の家は、赤黒い炎に包まれていた。
胸を撃ち抜かれ頭を割られた父と兄の死体が、玄関前に転がっていた。そしてその傍に、兄がひそかに思いを寄せていた従姉が倒れていた。その胸には軍用ナイフが突き刺さっており、体には陵辱された跡がはっきり残っていた。
従姉は、恨めしげに目を開いたまま息絶えていた。
「なぜ、あなただけ生きているの? 私は何人もの男たちに嬲り者にされ殺されたのに…。あなたの家族も、私の家族も、そして私も、みんな殺されたのに…。なぜ、あなただけ生き残ったの? なぜ?」
従姉の動かない口が、そう問い掛けた。
「あぐあうっ! ひいい~っ!」
どこにそんな体力が残っていたのか、ひとみは意味不明の叫び声を上げながら駆け出した。
何度も転びながら、集落の境界をなす小川に架かる橋のたもとまで、わき目もふらずに駈けた。橋を渡りかけて足を止め、振り向いた。
燃えていた。紅蓮の炎と黒い煙を吹き上げ、ひとみが生まれ育った家が、そして集落が…。
従姉の死顔が脳裏に浮かび、声が聞こえた。
「なぜ、あなただけ生き残ったの?」
ひとみは、手に持った軍用ナイフを見つめた。従姉の胸に刺さっていたナイフだ。無意識の内に引き抜き、持って来ていたのだ。刃先を喉元に当てた。
「私も行くわ。幸子ねえさん」
従姉の名を呟き、ナイフを握った手に力を込めた。血に染まった冷たい刃が皮膚に食い込む。
「やめろ!」
怒鳴り声が聞こえた。ナイフを握り締めたまま振り返ると、戦闘服を着た長身の男がこちらに向かって走って来るのが見えた。
(バンディッツ?!)
背筋に戦慄が走った。
(殺される。嬲りものにされて殺される。幸子ねえさんのように)
「来ないで!」
叫びながら、首筋に当てたナイフを引いた。
冷たく、そして熱い痛みが走った。視界が赤く染まり、フッと意識が遠のいた。
「馬鹿野郎! 死ぬんじゃない。せっかく助かったのに、なんで死のうとする!?」
男の声が聞こえ、目を開けた。
目の前に青年がいた。気遣わしげな表情を浮かべ、ひとみの顔を覗きこんでいる。戦闘服の襟に銀色のバッジが光っていた。
「あなたは?」
問うた声はかすれていた。喉が焼けるように熱い。
「俺はKCDの竹田浩介。バンディッツじゃない」
鏡を見つめたまま、ひとみはあれからの一年間を思い起こした。
一年前のあの日、竹田の率いる部隊は大町市街地の調査に赴いていた。その帰途、燃え上がる集落を発見し駆けつけたのだ。
集落は夜半まで燃え続けた。夜が明けてから焼け跡の探索が行われたが、生き残ったのはひとみ一人だけだという事が確認されただけだった。竹田は、全ての肉親と仲間を失って放心状態と錯乱状態の間を行き来するひとみを神白へ連れ帰った。
神白の住民となったひとみの元へ、竹田は職務の合間を縫って足繁く訪れた。何度か会う内に、二人は互いに引かれ合うようになった。
首の傷が癒え、精神的な安定も取り戻すと、ひとみはKCDに入隊した。そして基礎訓練が終わると、竹田の指揮する親衛中隊へ配属された。その時は嬉しい偶然に感謝したものだが、今にして思えば、二人の仲を察していた島崎が手配したのかもしれない。
決して平和な生活とは言えなかったが、ひとみは幸せだった。昼間は敬愛する島崎に護衛兵兼秘書として仕え、夜は愛する竹田と共に過ごす。幸せな日々、いつまでも続いて欲しい日々。
だが、子供が出来るという事は考えてもいなかった。いや、二人とも敢えて、その事は暗黙の内に考えないようにしていたのだ。
「こんな狂った時代に、子供を産み育てるなんて…」
従姉の顔が、また浮かんだ。
「なぜ、あなただけ生き残ったの?」
吐き気が、また襲ってきた。
以下次号