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蒼い水 第1章 襲撃6
構成の都合上、第1章 5を、5及び6に分けます。
内容は変わっておりません。
蒼い水 作 FKRG
第1章 襲撃6
日が中天に近づくに連れて、気温がグングン上がってきた。五月初めとは思えない暑さだ。
安城とさゆりは、守川町を西から見下ろす小高い山の中腹にある小川家の墓地にいた。墓地といっても、うねうねと続く細い坂道の脇にある、猫の額ほどの狭い空き地だ。そこにポツンと一つだけ、小さな墓石が立っている。
「綺麗になった。手伝っていただいて、ありがとうございます」
白い額にうっすらと汗を浮かべたさゆりが、微笑みながら安城に礼を言った。
「いや、礼を言われるほどの事じゃない」
安城は、照れ臭そうな笑顔を浮かべた。
三十分ほど前にここにやって来た二人は、墓の周りに生い茂った雑草を刈り取り、墓石の汚れを洗い流していたのだ。
昨夜、「一緒に墓参りに行ってくれませんか?」と、さゆりに頼まれた時、安城は二つ返事で快諾した。単なる墓参りのお供なのに、何故か心が浮き立ってしまった自分が、今更ながら不思議でならない。
「少し休憩しましょう」
「ああ」
草の上に並んで腰を下ろし、眼下に広がる守川町の家並を眺める。
家並みといっても、神白川中流西岸の小さな盆地に肩を寄せ合う様にして建つ家の数は百も無い。こじんまりとした家並みの向う、県道19号線と神白川の間に挟まれた細長い平地の中に、守川小学校の校舎が建っている。
一昨日の焼夷弾攻撃によって黒く煤けたその建物を見た途端、安城の脳裏に桜の死に顔が蘇った。無念そうに目を見開き、虚空を睨み付けていた血だらけの顔。
「桜…」
陰鬱な表情で親友の名を呟いた安城は、すぐ傍に生えている松の木に視線を向けた。一抱えほどの太さがあるその幹には、長さが倍近く違う二丁の銃が立て掛けてあった。
長い方は、安城の小銃だ。暗灰色と黒色のパーツを組み合わせたその銃の正式名称は06式自動小銃。旧陸上防衛軍が米軍のXM177を参考にして大量生産した突撃銃だ。本体重量四キログラム、スライド式ストックを伸ばした全長は八十センチ。マガジンに装填されている弾丸は、高速小口径5.56mm×45弾が三十発、これもXM177と同じだ。違う点と言えば、ハンドガード下部にバイポット兼用の折り畳み式フォアグリップを取り付けてある位なものだ。デザイン的なオリジナリティーなどカケラも無い銃ではあるが、操作性、命中精度等の銃本来の性能はオリジナルのそれを遥かに凌駕しており、前線で戦う兵士達の信頼を勝ち得ることに成功した。それ故に、06式は防衛軍が消滅する直前まで生産され続け、今はKCDの主要火器となっている。
06式の隣に寄り添うように並ぶさゆりの銃…正式名称09式短機関銃は、ドイツのヘッケラー アンド コック社が開発したサブマシンガンMP5K…通称クルツをベースにした銃だ。
外観的には、グリップとフォアグリップをオリジナルより細身にしてスライドストックを付け加えただけで、銃本体の重量も約二キログラムと殆ど変わらない。使用する弾丸もオリジナルと同じ9mm×19拳銃弾。だが、マガジンは三十発装填のロングタイプではなく、取り回しの良さを重視した十五発装填のショートタイプだ。更に、セミ、フル切り替えだった射撃モードは、三点バーストのみに変更されている。
スライドストックを縮めると全長四十センチにも満たないこの小さな銃を、陸上防衛軍が制式銃として大量生産し配備した最大の理由は兵力不足だった。
WW3後期、兵士に最も適した十八才から二十五才までの男性人口は枯渇していた。長期に渡る戦争によって、戦死または負傷してしまったからだ。その為、通常では兵役に適さないとされる二十六才以上の男性は勿論、女性さえも兵士として組み入れざるを得ない状況に陥ってしまった。
女性でも無理なく操れる事を優先した銃。それが09式短機関銃だった。
スライドストックを付設し、グリップとフォアグリップを細身にしたのは、さゆりのように小柄で手の小さな女性でも、安定した射撃姿勢を取り易いようにとの配慮からだ。本体重量を敢えて軽減しなかったのも、銃の重さによって射撃時の跳ね上がりを少しでも抑制し、非力な女性でもコントロールし易いようにという苦肉の策なのだ。
射撃モードを三点バーストのみにしたのにも理由がある。
第一に、“有効射程内であれば、一度に一発のセミより一度に三発のバースト射撃の方が的…つまり敵兵に当たる確率が高い”という事。第二に、“実戦経験が乏しい兵士がフルオートで射撃をすれば、あっという間に弾を撃ち尽くしてしまう。その点、バースト射撃であれば、幾ら引きっぱなしでも三発ずつしか撃てないので、無駄弾を撃たなくても済む”という事だ。
とは言え、有効射程距離が短い拳銃弾を使用するサブマシンガンなど、屋内戦でも無い限り前線では殆ど役に立たない。だが、女性兵士の主要な任務は兵站基地や通信基地等の後方施設の警備とされていたので、サブマシンガンで充分と考えられたのだ。
だが、近代戦においては、前線と後方の区別など無いのが実情だ。いや、それどころか、兵士と一般市民の区別さえも無い事を、軍は…いや指導者達は、どれほど理解していたのだろうか? 銃弾は兵士の体も一般市民の体も平等に撃ち抜き、砲弾は戦車もろとも民家を破壊し、弾道弾は軍事基地と街を同時に吹き飛ばした。そして戦争は…WW3は全てを滅ぼした。人類は、自分達が営々と築き上げてきた文明を、自らの手で滅ぼしてしまったのだ。
「俺も全てを失った。生まれ育った街を、肉親の全てを、最愛の女を、そして親友も…。今の俺が持っているのは、あれだけだ」
金属と強化プラスティックで作り上げられた06式小銃を、皮肉な目で見つめる安城の耳に、さゆりの呟きが聞こえた。
「子供の頃、あの校庭で暗くなるまで遊んでいたのに。あんなに成ってしまって…」
黒く煤けた守川小学校をじっと見つめるさゆりの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「子供の頃? じゃあ小川、オマエは…」
「私は、ここで…守川町で生まれ育ったんです。去年、神白市民全員が市街地へ移住するまで、ここに住んでいたんです」
「そうだったのか…。あそこを中隊本部にした為に、思い出の場所を壊してしまったんだな。悪い事をした」
「いいえ、悪いのは敵です。…バンディッツ」
浮かんだ涙を吹き飛ばすかのように強く頭を振ったさゆりは、布で包んだ水筒を安城に差し出した。
「喉、乾いたでしょう? 飲んで下さい。濡れタオルを巻いて冷しておいたんです」
「ありがとう。じゃあ、遠慮無く」
水筒の水は程よく冷えていた。柑橘類の汁が混ぜてあるのだろう、爽やかな酸味が心地良い。
「うん。旨い」
「本当? 良かった」
さゆりは、嬉しそうに微笑んだ。
(小川の笑顔を見ていると不思議に心が落ち着くな。まるで玲子の…)
水筒を口から離した安城は、婚約者の…いや、婚約者だった玲子の笑顔を不意に思い出した。
玲子の家は、安城の家の道路向かいにあった。子供の頃は体が弱く内向的だった安城の遊び相手は、一つ年上の玲子だけだった。二人は互いの家を、まるで自分の家のように行き来した。
ひ弱で泣き虫の弟と、その弟を優しく見守るしっかり者の姉。安城が小学校を卒業する頃までの二人は、そんな関係だった。だが十代も半ばを過ぎる頃から、その関係は徐々に変質していった。日に日に逞しく男らしくなっていく安城に比べて玲子は淑やかに女らしくなっていき、いつしか互いを異性として意識するようになった。“れいこねえちゃん”、“こうちゃん”と呼びあっていた二人が、“玲子”、“弘一さん”と呼びあうようになったのは、安城が高校に入った頃だった。
二人が婚約したのは、高校を卒業した安城が防衛軍に入隊する直前だった。
「玲子…」
小さな声で、死んだ婚約者の名前を呼んだ。目頭が熱くなり、安城は上着の袖で顔を乱暴に拭った。
墓石の手前に埋め込まれた小さな石板を取り除くと、納骨の為の穴がぽっかりと口を開けた。
安城は、その穴の底に金属製の薄い箱を置いた。次いでさゆりが、その横にピンク色の可愛らしいコンパクトをそっと置く。
金属製の箱は、桜が生前愛用していたシガレットケース。コンパクトは、桜に覆い被さる様にして死んでいた市木亜衣の物だった。
「本当に良いのか? 君の親友の市木さんはともかく、桜まで小川家の墓に入れさせてもらって」
石板を元に戻す前に、安城はさゆりの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「良いんです。亜衣は戦争が始まった頃、この町へやって来た。そして、すぐに私と仲良しになった。…それだけじゃない。家族ぐるみで仲が良かった。とっても良い人達だった。亜衣のお父さんも、お母さんも…。戦争が激しくなった頃、私の両親も亜衣の両親も、大町市にあった防衛軍直轄の軍需工場に徴用されて…。そして、四人とも帰って来なかった」
神白市の西方に位置する大町市にあった軍需工場は、WW3末期、敵陣営から飛来した長距離弾道弾によって跡形も無く吹き飛ばされた。工場で働いていた三千人近い民間人は、一人として生き残らなかった。
「亜衣の…市木家のお墓は神白には無いんです。お骨では無く遺品だったけど、亜衣のお父さんとお母さんも、ここに入れてあげました。亜衣だけが共同墓地なんて、かわいそうでしょう?」
「そうだったのか…。墓が無いのは、桜も同じだ。あいつは、俺と同じ東京の生まれだからな。小さな頃に父親が死んで、母一人子一人で暮らしていたらしい。その母親も、戦争が始まる前に病気で死んでしまったそうだ。酔っ払うと、いつも言ってたよ。“俺は天涯孤独。親戚もいない。もし、俺がお前より先に死んだら。すまないが、俺の家の小さな墓に入れてくれ。まあ、しかし墓が…東京が、まだあればの話だがな”って」
安城は、胸ポケットからタバコを取り出し口に咥えた。それは、桜のシガレットケースから抜き取っておいたタバコだったが、本部から定期的に配給されるタバコではなく、手製のものだった。
安城以上のヘビースモーカーだった桜は、配給のタバコだけでは足りずに、そこらに自生しているタバコの葉(らしき物)を採集しては自作していたのだ。
タバコに火をつけた安城は、軽くふかしてみた。
「げほっ」
思わず咳き込んだ。酷い味だ。煙が出るだけが取り得、と言う代物だ。
「桜、そっちにはタバコがあるか?」
もの言わぬ墓石に問いかけながら、火がついたままのタバコを線香代わりに墓前に置くと、さゆりが、その横にツツジの花を置いた。
その花は、墓地に至る坂道の脇に自生していたのを、枝ごと切り取ってきた物だった。
タバコのいがらっぽい匂いとツツジの花の甘い匂いが、絡み合いながら小さな墓石の周りを包み込んだ。
「よかったね、亜衣。大好きな桜さんと一緒に眠れて」
さゆりが、しんみりした声で呟いた。
「えっ、大好きって?」
安城は、訝しげな目をさゆりに向けた。
「亜衣は、桜さんのこと好きだったんです。基礎訓練が終わって配属先がF中隊に決まった時、すごく喜んでた。“これからは、いつも傍に居る事が出来る”って、あんなに喜んでたのに…」
「そうだったのか」
安城は、市木亜衣の顔を思い浮かべた。
「おとなしそうな、いつも伏し目がちの娘だったな。桜の事を好きだなんて、ちっとも気がつかなかった。桜も、気付いていなかったに違いない。あいつ、“玲子さんがオマエと婚約したのは、幼なじみだったからだ。そうでもなければ、あんなに美人で気立ての良い女性が、オマエみたいに女心が判らん鈍感野郎と婚約する訳が無い”なんて、いつも俺に偉そうな事を言ってたくせに。自分の方こそ判ってなかったんだ」、
「そうですね。男の人って、何も判ってないんですよね」
何処か非難めいた口調で、さゆりが相槌を打った。
「え? 何だって?」
「何でもありません」
そう言うとさゆりは、墓石に向かって手を合わせた。
「弘一さん」
さゆりが小さな声で、しかし、はっきりと安城の名を呼んだ。苗字ではなく名前で…。
「えっ?」
それまでボンヤリと墓石を見ていた安城は、その声で我に帰った。
真剣そのものの表情を浮かべたさゆりが、安城の顔を真っ直ぐに見つめていた。
「好きなんです。安城さんを…弘一さんを…」
声が震えていた。頬が、朱を散らした様に赤く染まっている。
「え? 誰が?」
これ以上、間の抜けた質問は無かっただろう。もし桜が生きて傍に居たら、安城を張り倒していたに違いない。
「私が、です!」
叫ぶと同時に、さゆりは安城にしがみついた。
「私は、いや。好きな人に、“好きです”と言えないうちに死んじゃうなんて…」
安城の胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声で途切れ途切れに呟く。
(好きな人? この娘は、俺のことを…)
さゆりの小さな体を、安城は両手をだらしなく垂らしたまま茫然と見下ろした。
昨日、F中隊隊員の死体を燃やす炎を見つめながら、さゆりの肩を抱き締めた。親友である市木亜衣を失った悲しみに暮れるさゆりを、放っては置けなかったのだ。そのまま放っておいたら、悲しみの余り死んでしまいそうな気がして…。
(それだけ、だったのか? いや、それだけではない。俺は、この娘に…小川さゆりに何かを求めていた。何を?)
脳裏に玲子の笑顔が浮かんだ。安城をいつも励まし、包み込んでくれたあの優しい笑顔。
東京に飛来した無数の長距離弾道弾が起こした爆発の中で、安城の両親も妹の典子も、そして玲子も死んだ。それ以来、安城の心の奥底には冷たく巨大な暗闇が存在するようになった。職務に追われている間、酒を飲んで酔い痴れている間、その存在を忘れる事は出来る。だが、職務から解放された時、酒の酔いが覚めた時、その暗闇は表面に躍り出す。そして瞬時に心を覆い尽くすのだ。
(だが、この娘…小川さゆりは、その闇を消してくれる。そんな気がする)
だが、しかし…。
(玲子、愛していた。いや、今でも愛している。おまえを裏切る事は出来ない。だから…)
安城は、両手をさゆりの肩に置いた。さゆりの体を引き離す為に、さゆりの思いを拒否する為に…。
その時、どこからか桜の声が聞こえて来た。
「済んだ事を悔やんでもつまらない。人生、いつも前向き」
桜が、口癖のようにいつも言っていたフレーズだ。
「死んだ者は生き返らない。生きている者同士が手を携えて生きて行く。そうだよね? 玲子さん」
「玲子?」
慌てて顔を上げると、青空に雲が二つ浮かんでいた。一つは、陽気な笑いを浮かべる桜の髭だらけの顔。もう一つは、微笑みながら安城を見つめる玲子の顔に見えた。
「玲子、許してくれるのか?」
安城の無言の問い掛けに、玲子は小さく頷いた。淋しそうな表情をほんの少しだけ浮かべて…。
「本当に?」
口に出してもう一度問い掛けた時、風が吹いた。雲は崩れ、桜の笑顔も玲子の微笑も消え去った。
「自分の心に正直になれ、って事か?」
誰に言うことも無く呟いた安城は、それまでさゆりの肩に置いていたままだった手を背中に廻した。華奢な体を引き寄せ、きつく抱き締める。
「うれしい」
さゆりは、小さな白い顔を上げて安城の顔を見つめた。黒い瞳が涙で潤んでいる。
「さゆり」
安城が顔を近づけると、さゆりは愛らしい唇を小さく開き、そして目を閉じた。
山ツツジの甘い匂いとタバコのいがらっぽい匂いが漂う中で、二人は唇を重ねた。
以下次号