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蒼い水 作 FKRG
第4章 包囲8
降り続いていた雨が突然止んだ。雲の切れ間から月が覗き、僅かに闇が薄くなっている。
「そろそろ潮時か…」
A中隊が本部を置く自動車学校跡二階の一室、床に胡坐をかいた楠木は、窓を見上げて低く呟いた。
午後五時ごろ、四百名近い敵が西から攻め寄せてきた。だが、A中隊本部西方の丘の上に布陣する第三小隊とその丘の麓に布陣した第四小隊の抵抗に遭った敵は前進もせず、かと言って迂回も後退もせずに、そのまま散発的な撃ち合いを続けるだけの膠着状態に入った。
それから三時間が経過した今、敵はついに動きだした。
銃撃が激しさを増すと同時に、第二小隊が潜む廃工場へ向けて一隊が移動を始めたのだ。楠木が予想した通り、廃工場を迂回して東と南からA中隊本部を包囲する積りに違いない。
「鳥越」
「はい」
壁にもたれてしゃがみ込んでいたみゆきが、間髪を入れずに答えた。その顔は、床に置かれたランタンのぼんやりとした明りでも判るほどに汗と埃にまみれて黒ずんでいる。
「撤収の準備は出来ているな?」
「建物内部と外周に四リットル爆弾とゴリアテが仕掛けてあります。時限信管に連結したワイヤーに敵兵が触れれば、一斉に…」
「やれやれ、せっかくの自走爆弾を固定爆弾として使うわけか…。技術部の連中が知ったら泣くだろうな」
やや残念そうに、楠木は呟いた。
「ゴリアテは操作が難しすぎます。今のところ、A中隊であれを扱えるのは中隊長だけです。でも、中隊長にはここで指揮を執って頂かねばなりませんから、そんな余裕などないでしょう? それに私としては、あんなガラクタを作った技術部の連中が泣こうが喚こうが知った事ではありません」
みゆきの声はすこぶる冷たかった。ゴリアテを巧く動かせなかったのがよほど悔しいのだろう。
(倉沢の事と言い、図体はでかくてもまだまだ子供だな。コイツは…)
楠木は苦笑するしかなかった。
「わかった、わかった。で、車の用意は?」
「中隊保有の車両、全て待機しています」
「よし、いいだろう」
真顔に戻った楠木は、通信兵に向かって顎をしゃくった。
「第二、第三、第四小隊に、打ち合わせ通りに撤収準備にかかるよう指令しろ」
「了解」
「鳥越、廃工場に迫っている敵を第二小隊と協調して撃退しろ。但し、深追いはするな。敵が引いた隙に撤退するのだ」
「了解」
しゃがみ込んだまま敬礼したみゆきは、這うようにして部屋を出て行った。ドアが閉じられ、鉄階段を勢い良く駆け下りる音がそれに続く。そしてすぐに、部下を呼集する怒鳴り声が階下から聞こえてきた。
「第一小隊、集合! グズグズするな! 急げっ!」
その怒鳴り声を聞きながら、楠木は小さく溜息を漏らした。
「やれやれ、こんな時代じゃなければ、鳥越も、もう少し女らしく振舞うだろうに」
「鳥越さんは、どんな時代でも、あんな風だろうと思いますよ」
各小隊への連絡を終えた通信兵が苦笑を交えた声で応じた。
「そう、そうだな。そうだろうな」
楠木も苦笑した。
「あの指揮官、なかなか用心深いな」
暗視スコープから目を離した元原は、小さく舌打ちした。
元原は、日暮れ前からA中隊本部の南東二百メートルにある、この小高い丘の中腹に潜んでいる。部下は一人も連れていない。黒畑のようなベテランならともかく、中途半端な腕前の兵士など却って足手まといになるからだ。それが、狙撃に徹するときの元原の流儀だった。
ここに潜んでから今までの間に、何人かのKCD兵士をスコープの中に捉えた。だが、引き金は引かなかった。
「下っ端に用はない。俺の獲物は指揮官だけだ」
と、うそぶきながら…。
辺りが暗闇に包まれると、敵の指揮官らしき男が建物の二階部分に移動してきた。元原は、その男を狙い続けた。だが、男は用心深かった。
窓越しに見える位置に立とうとしないのだ。時折、戦況を確認する為に窓から顔を出す。が、それはほんの短い時間だけで、しかも目から上だけしか露出しない。その上、同じ方向を見るのにも、同じ場所からは顔を出さない。常に場所を変えて戦場を見廻しているのだ。
「よほど場慣れした奴だな」
徹甲弾を使って壁越しに狙撃しようかとも考えたが、止めにした。壁の厚みが判らない。まさか戦車並の強度は無いだろうが、材質によっては弾丸が貫通しない事がある。それに、命中したにしても致命傷になるかは判らない。そんな不確実な真似はしたくなかった。
「やはり、奴らが脱出する時を狙うか」
自動車学校の敷地東端に、二十台近い車両が並んでいる。明らかに脱出の為の準備だ。
「まあ、それまでゆっくり待つさ」
銃の構えを解いた元原は、手近に生えている木の枝に手を伸ばした。細長い葉を一枚、引き千切る。その葉を咥えかけた時、一斉射撃の音が聞こえて来た。
「どこだ?」
素早く視線を動かす。自動車学校敷地の南、東西に延びる鉄道線路の辺りで、銃火がきらめいているのが見えた。廃工場前を通過して自動車学校跡の東側へ廻り込もうとする西部遊撃隊に気づいたKCDが、攻撃を始めたのだろう。
(指揮官が出てくるか?)
銃を構え直し、スコープを覗き込む。盛んに動き回る人影があった。
(指揮官か?)
スコープの倍率を上げ、その人影を注視した。兵士達を大声で叱咤しているのだろう、ヘルメットの下で白い歯がやたらとちらついて見える。
(やけに威勢のいい奴だな。二階に居た奴とは違うのか? だが、少なくとも一兵卒ではない)
その大柄な人影の側頭部に、クロスラインを重ねた。
(安らかに眠れ)
引き金を引こうとした寸前、指揮官がこちらに顔を向けた。
(女!?)
埃と硝煙にまみれて顔は黒ずんでいる。だが、確かに女だ。しかもまだ若い。
「女は、撃ちたくない」
溜息をついた元原は、引き金にかけていた指から力を抜いた。
蒼い水西部遊撃隊 第二小隊長の桂木は、銃声を聞くと同時に地面に身を伏せた。周りに居た部下の何人かが、悲鳴を上げて倒れる。
「ちっ!」
桂木は激しく舌打ちした。銃声は北側…自動車学校跡と廃工場の間を走るJR北陽線の鉄路の辺りから聞こえてくる。
「ザマはない。俺が言った通り、攻撃してきたじゃないか」
桂木の部隊は、廃工場の前を通って敵本部の東側に廻り込むよう、命令されたのだ。廃工場の前を通ると言う事は、当然ながら敵本部の目の前を通ることになる。いくらなんでも、無事に通してくれるわけが無い。
「奴らの退路を断ちたいのは判る。だが、浅井の野郎め、こっちの身にもなってみろってんだ」
上官である浅井への呪詛の声を漏らした時、ガラスの割れる音が聞こえた。慌てて音が聞こえた方に顔を向ける。廃工場の方向から黒く小さな物体が幾つか飛んで来るのが見えた。
「手榴弾だ! 伏せろ!」
大声で叫び、頭を抱え込む。閃光と共に爆発音が轟き、悲鳴がそれに重なった。爆発音が消えぬ内に、今度は雄叫びが聞こえた。北と南…鉄路と廃工場の両方からだ。
顔を上げると、銃を構えたKCDの兵士が、こちらに突進してくるのが見えた。闇の中に、目だけが白く光っている。
敵兵の銃口が赤く光った。桂木の背中に焼け火箸を押し当てられたような痛みが走り、目の前が真っ暗になった。
「ザマは無い。見事に挟撃されたじゃないか。KCDと戦おうとするからこうなる」
過去、幾つかのバンディッツ集団を渡り歩き、何度かKCDと戦った経験を持つ桂木は、かすれ声で呟くと同時に目を閉じた。
止んでいた雨が、また降り始めた。撤退命令を出してから三十分後、百二十名近くまでに減ったA中隊隊員は、自動車学校敷地の東端に並べられた車両に乗り込んでいた。銃声が近づいてくる。A中隊の撤退に気づいた敵が、攻勢に転じたのだ。
「中隊長、早く!」
全身泥だらけになったみゆきが、大声で怒鳴りながら楠木の腕を引っ張った。
「わかってるって。年寄りを急かすんじゃない」
苦笑しつつ楠木は、玄関へ通じる廊下を足早に駈け抜けた。
玄関を出ると、ジープが低いエンジン音を立てて待っていた。
ジープに乗り込もうとした楠木は、ふと足を止めて振り返った。玄関脇に置かれたプランターに視線を走らせる。プランターには花が植えられていた。今を盛りと咲き誇る花、既に散ってしまった花、これから咲こうとする花。いずれも、楠木が職務の合間を縫って大事に育ててきた花だ。
「済まんな。おまえ達を連れて行く余裕が無いんだ」
淋しげに呟く。
「中隊長!」
みゆきが、耳元で怒鳴り声を上げた。
「やかましいヤツだ。そんなんじゃ、倉沢に嫌われるぞ」
そう口に出そうとした時、背中から左胸にかけて鋭い痛みが走った。目の前が暗くなり、膝から力が抜ける。
「ぐ…」
呻き声を漏らした楠木は、そのままジープの後部座席に倒れ込んだ。
「中隊長! …運転兵、何をしている! 早く車を出せ!」
みゆきの怒鳴り声を合図にして、ジープは弾丸のように走り出した。国道16号線を東に向けて猛スピードで突っ走る。十数秒後、自動車学校跡で爆発が起きた。建物の各所に仕掛けた四リットル爆弾とゴリアテが一斉に爆発したのだ。
爆発の轟音に呼び覚まされたのか、楠木の目が僅かに開いた。薄暗い車内灯の下、涙でぐしょぐしょになったみゆきの顔を見上げる。
「鳥越」
声は小さく、そして弱々しかった。
「オヤジさん、しゃべらないで。すぐ街に着きます。手当てをすれば…」
「俺は、もう駄目だ。それよりな、鳥越。街には、行くな」
「じゃあ、何処へ行くんですか?」
「神白城址。詳しい事は、ポケットにメモが…。おまえが惚れた男を、・・・助けに・・・行け」
「寛治さんを助けに?」
みゆきの口がぽかんと開くのを見て、楠木はニヤリと悪戯っぽく笑った。
「倉沢に会う前に、せめて顔くらいは洗えよ」
そう言い足そうとした時、ゴボリと口から赤い泡が吹き出た。
シワだらけの顔に微笑を浮かべたまま、楠木は静かに目を閉じた。
元原は、東へ向けて走り去る車列をぼんやりと眺めていた。
「手応えは有った。あの指揮官は死んでいるだろう」
燃え続ける自動車学校跡の建物をチラリと見た。
「西部遊撃隊が態勢を整えたら、一緒に街に向かおう。誰かが、俺を待ってる気がする。勿論、味方じゃない。敵だ」
*
雨は、奥川村ダムにも降っていた。
「さゆり、ここに居たのか? 出発の準備が…」
途中まで言いかけて、安城は口を噤んだ。
ロッジの中は薄暗かった。壁に掛けられたランタンが一つ、頼りなげな炎を揺らめかせているだけだ。さゆりは、そのか細い明かりの下に立っていた。
声に気付いて振り向いたさゆりは、安城を真っ直ぐ見つめ、そしてニッコリ微笑んだ。だが、その笑顔はすぐに強張り、その視線は壁の一隅に移った。時計が掛かっていた。短針が“10”を指したまま止まっている時計。
「弘一さん」
安城の名を呼ぶ。声が、小さく震えている。
「ここへ、また来れるかしら? 私達、もう一度…」
安城は、ゆっくりとさゆりに近づいた。華奢な肩を抱き寄せ、低い声で、しかし、はっきりと言った。
「来れるさ。いや、来るんだ。俺達二人で、ここへ…」
さゆりの白い額に、そっとくちづけする。
「もう一度?」
細い両腕を安城の背中に廻して、さゆりは不安げに呟いた。
「何度でも、だ。さゆり」
安城の唇がさゆりの唇に重なり、ロッジの壁に一つになった二つの影がゆらめいた。
「安城さん。さゆり」
遠くから、二人を呼ぶ声が聞こえた。吉野晴美の声だ。
さゆりの肩がピクリと動いた。安城の手が、その肩をそっと押さえた。
(雨の音だよ。もう少し、このままで…)
(ええ、雨の音ね。もっと、このままで…)
以下次号