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蒼い水 作 FKRG
第4章 包囲6
「そして、それから…」
「ちょっと待て、安城。クーデター計画なんて聞いたことも無いぞ。何でオマエは、そんなことを知ってるんだ?」
秋川が、質問の声を上げた。
「クーデター計画はトップシークレットとして闇から闇へと葬られた。一般国民は勿論、俺達のようなペーペーの軍人に知らされる訳が無い。俺が知ったのもつい先日だ。教えてくれたのは鳴海さんだ」
「鳴海? 誰だ、そいつは?」
「今まで隠していたが、春高山で道に迷った俺とさゆりは、鳴海と名乗る元陸上防衛軍中佐とその仲間に助けられた。川村中尉の履歴はその時、聞いた。鳴海中佐は内務監察部に所属していた。だから、高度な機密に接することが出来たんだ」
「出鱈目を言ってるんじゃないのか? その鳴海とかいう男が」
「俺は事実だと思っている。事実でなければ、川村中尉の一連の行動を説明できないからだ」
安城は話しを続けた。
「今から二年前のAD二〇一〇年六月。川村中尉は神白に現われた。“川村翔中尉を燃料備蓄庫守備隊長に任ずる”と記した命令書を持って…。変だとは思わないか? 同じ年の三月に“首都周辺に跋扈する敵対勢力の駆逐”を命じられたはずの川村中尉が、それから僅か三ヶ月後に中央から遠く離れたこの神白の、しかも燃料備蓄庫の守備隊長に任じられる。…余りに不自然だ。仮に、鳴海中佐の話…つまりクーデター未遂事件…が嘘だとしても、やはり不自然だ。防衛軍の中枢に在籍するバリバリの参謀が、片田舎の守備隊に派遣されるなんて…」
「うむ。だが、まあ、しかし…。あの頃は戦争も末期で、政府も軍も半ば瓦解していたからな。命令系統に混乱があったんでは…」
「そう、命令系統の混乱。それを、川村中尉は利用したに違いない」
安城は声に力を込めた。
「ここから先は俺の推測だが…。当時の守備隊長だった楠木さんに川村中尉が見せた命令書は、中尉自身が作った偽の命令書だったのではなかったのか? 元々が軍の中枢にいた人間だ。命令書を偽造するくらい大して難しいことではない。勿論、楠木さんは上層部に確認しようとしただろう。だが、おまえが言った通り、その頃既に軍の命令系統はガタガタになっており、地方と中央との連絡は滞りがちになっていた。結局の所、確かな回答を得られないまま、楠木さんは指揮権を川村中尉に委譲した」
「そして今に至る、か?」
「そうだ。クーデターの失敗とその後の軍事法廷で起きたことを目の当たりにした川村中尉は、軍上層部や政治家に対して幻滅と絶望を感じたに違いない。だから、さっき言ったように、川村中尉は心の底では政治家を憎み、そして敬愛する先輩に裏切られたが故に自分以外の誰も信用していない。俺は、そう思っている」
一息ついた安城が空になったカップをテーブルに置くと、さゆりがすかさず茶を注ぎ足した。礼を言う代わりに、安城はさゆりに向かってニッコリ微笑んだ。さゆりも微笑み返す。
(あらら、口に出さなくても意思が通じるって訳? すっかり夫婦気取りねえ)
苦笑した晴美は、何気なく秋川の方に顔を向けた。
秋川は俯いていた。テーブルの上に置いた自分のカップをじっと見つめている。その横顔はひどく淋しげに見えた。
(なんで、カップを睨み付けてるのよ)
首を伸ばしてカップを覗き込む。中身は空になっていた。
「やれやれ、私にお茶を注いで欲しいってわけ? しょうがない甘えん坊ねえ」
そう心の中で呟いた途端、胸がキュンと締め付けられた。
(あれ? 私って、ひょっとして…)
晴美は、それ以上は考えずにポットを持ち上げた。
「熱いわよ」
殊更ぶっきらぼうに言って、空のカップに茶を注ぎ入れる。
「あ、ああ…。す、済まんな吉野」
嬉しさを隠そうともせずに秋川はカップを持ち上げた。グビリと一口飲む。
「あちっ! あちちち」
カップの茶が飛び散り、秋川の上着を濡らした。
「だから言ったでしょう。“熱い”って…。大丈夫? やけどしてない?」
ハンカチを取り出した晴美は、秋川の上着にこぼれた茶を甲斐甲斐しく拭き取り始めた。
「済まんな、吉野」
決まり悪そうに頭を掻く秋川を見て、安城とさゆりは同時に心の中で呟いた。
「秋川の奴、まるで…」
「…まるで、母熊に甘える子熊みたい」
呟き終えた安城は、自分がふわりとした暖かな微笑みを浮かべていることに気づいた。さゆりも同じ微笑みを浮かべている。そして、秋川も晴美も…。
うららかな春の陽だまりのような雰囲気が四人を包み込んでいる。いつまでも浸っていたい、心地良い雰囲気…。
だが、それを愉しむ余裕など今は無い。
「う、ごほん」
わざとらしく咳払いした安城は、居住いを正して秋川の顔を見つめた。
「秋川、いい加減に目を覚ませ。おまえは川村中尉に利用されているだけだ。中尉は、G中隊をここに釘付けにしておく為に、重傷を負って厭戦感に囚われたおまえの心の隙を衝いたんだ。おまえは、今まで一緒に戦ってきた仲間を裏切って神白をバンディッツに渡す気か? おまえは、それで良いのか? 神白は俺達の街なんだぞ」
「俺達の街?」
秋川はオウム返しに言った。
「そうだ。バンディッツのものでも、川村中尉のものでもない。俺達が今まで守り続け、そしてこれからもずっとずっと守り続ける俺達の街だ」
「俺達の街、か…」
秋川は、問いかけるような視線を晴美に向けた。
「そう、わたし達の街よ」
慈愛に満ちた聖母のような微笑を浮かべた晴美が、優しく答えた。
「そう、そうだな」
秋川は、体内に溜まっていた毒を吐き出すように太く息を吐いた。
「俺は、余りに臆病になり過ぎていた。戦争で家族も友人も失い、そして自分自身の命まで失いかけた時、全てを捨てて逃げたくなった。ただ、逃げたかった…。でも、どこへ? 一体、何処へ逃げる? 俺は、ずっとそればかり考えていた。だが今、やっと判ったよ。逃げる場所なんか、どこにも無い。逃げるんじゃなくて、守るんだ。俺達の街…神白を、俺達の仲間…神白の住民を…」
そう言った秋川の表情は、晴々としたものになっていた。
「ああ、その通りだ。秋川、やっと以前のおまえに戻ったな」
安城は嬉しそうに手を差し伸べた。秋川も手を差し伸べる。力強い握手を二人は交わした。
「よし、出撃だ! バンディッツのクソ野郎どものケツを蹴飛ばしてやる。吉野、G中隊に…。いや、戦える者全員に出撃命令を出せ」
秋川は勢い良く立ち上がった。
「イエス サー!」
応じて吉野も立ち上がる。
それに続いて安城とさゆりが立ち上がった時、拳銃を手にした杉原と川島が音も無く部屋に入って来た。
「盛り上がっている所を申し訳無いが…。皆さん、両手を頭の後ろで組んで下さい。秋川少尉と吉野上級兵、銃を預からせて頂きますよ」
拳銃を構えたまま後ろ手にドアを閉じた杉原は、川島に向かって顎をしゃくった。
頷いた川島は、秋川と晴美に近づいた。二人のホルスターから拳銃を素早く抜き取り、そのまま茶道具が置かれたテーブルの前まで下がる。
「杉原、きさま…」
秋川が、唸り声を漏らしながら杉原を睨みつけた。
「スパイだったのね」
晴美も、嫌悪の表情を浮かべて杉原を睨みつける。
「スパイ? まあ、そういう見方もありますね」
悪びれもせずに、杉原はニヤリと笑った。
「安城の言う通りだったな。川村中尉は俺を利用していたんだ」
吐き捨てる様に秋川が言うと、杉原は細い眉を微妙に引き攣らせながら答えた。
「その通りだ。ついでに言えば、あの人…川村中尉は、あんたを信用していなかった。土壇場で裏切るんじゃないか、とね。そして危惧していた通り、安城少尉の口車に載ってあんたは裏切った。だが、俺達は信用されている。いや、何よりも俺達は川村中尉の掲げる最終目的に共鳴し、忠誠を誓っているんだ。あんたのように、ただ命惜しさだけで加わったたわけではない」
「最終目的? どんな目的なんだ?」
さゆりを自分の体で隠すようにしながら安城が問うた。杉原の銃口からさゆりを守る為だが、それだけではなかった。安城は秋川の肩越しに見ていたのだ。晴美が茶の用意をしながら、何をさゆりに渡したのかを…。
「KCDと蒼い水を統合し、強力な戦闘集団を作り上げる。そして北陽地方を征服し、やがては日本全土を征服する。それが最終目的だ。川村中尉は日本の支配者になるのだ」
夢見るような口調で、杉原は答えた。
「絵空事だわ。狂人の戯言よ」
そう言うと晴美は、ごく自然な感じで横に一歩分、体を動かした。
(杉原からは安城少尉の蔭になってさゆりは見えない。そして、川島の視界は秋川と私の体で遮断されている。だからこれで、さゆりは“動く事”が出来る)
「狂人の戯言? 結構ですね。歴史に名を残す人物は、往々にして同時代の人々からそう言われる。だが、そんな事を言う奴は目先の事しか見えない愚か者だ」
杉原は頬を紅潮させながら答えた。晴美の挑発的な言葉に気を取られて、さゆりの姿が見えなくなった事に気付いていない。
「で? その“愚か者”の私たちは、どうなるのかしら?」
体を屈め始めたさゆりを目の端に捉えながら、晴美は声高に質問した。
「死んで貰う。ここで、今」
「私たちを撃てば兵士達がすっ飛んで来るわ。どう言い訳する積り?」
晴美は間髪を入れずに質問を重ねた。さゆりは、ポケットから拳銃を抜き出している。
「言い訳? どうにでもなるさ。そう、例えば…。帰還をあくまで拒否する秋川少尉に、業を煮やした安城少尉が飛びかかる。揉み合う内に銃が暴発して秋川少尉は死ぬ。それを見た吉野上級兵が、安城少尉と、少尉の恋人でもあり部下でもあるお嬢さん…小川さゆり、だったな?…を撃つ。安城少尉は絶命寸前に吉野上級兵を撃って…。つまりは、四人とも死ぬ。いかがです?」
杉原は、ウットリした表情を浮かべながら拳銃の撃鉄を起こした。
「良く有るパターンね。陳腐でオリジナリティーに欠けてる。二流のサスペンスドラマね」
皮肉タップリの口調で晴美が言い返した時、さゆりは拳銃を構えて床に片膝をついていた。
「おっしゃる通り陳腐なパターンですが、陳腐ゆえに説得力もある。但し、小川初級兵には、ちょっと気の毒かもしれませんな。確か、まだ十八になったばかりか…。でも、まあ、好きな男と一晩過ごした上に、一緒に“あっち”に行くんだから…」
怒気を含んだ女の声が、杉原の言葉を遮った。
「アンタみたいなゲス野郎に言われたくはないわ」
「?!」
杉原の視線が、声が聞こえた方に向いた。安城の足元、床に片膝を付いたさゆりが、両手で握り締めた拳銃の銃口をこちらに向けている。
(バカな! いつの間に?)
銃声が響き、杉原は唖然とした表情を浮かべたままのけぞった。背中がドアに当たり、そのままズルズルと床に沈み込んでいく。
室内に木霊する銃声が消えぬ内に、別の銃声が起きた。狼狽した川島が引き金を引いたのだ。
「ぐっ!」
くぐもった悲鳴を漏らして、晴美が床に倒れた。肩から血が流れている。
「このクソ野郎! よくも晴美を!」
グローブを丸めたような秋川の拳が、愛する女を撃った男の顔面に叩き込まれた。
「ぐげっ!」
文字通り吹っ飛んだ川島の体は、テーブルを道連れにして壁にぶち当たった。スチール製のテーブルは二つに折れ、甲高い音を立てて茶道具が床に散らばった。白目を剥いて床に崩れ落ちた川島の顔はあらぬ方向を向いていた。
「晴美! 晴美! 大丈夫か?」
振り向いた秋川は、泣き出しそうな声で喚きながら晴美を抱き起こした。
「バカね。これくらいで死ぬ訳ないでしょ。それより、馴れ馴れしく“晴美”なんて呼ばないでよね。誤解されるじゃない」
減らず口を叩く晴美だったが、その声はどこか嬉しそうだった。
「晴美さん」
駆け寄ってきたさゆりが、傷口を素早く診た。
「大丈夫、掠っただけ。このくらいの出血はすぐ止まるわ。弘一さん、救急セットを持って来て。秋川さん、何をグズグズしてるんですか? 出撃するんでしょ? 中隊を呼集しなくちゃ!」
「オーケー」
「わ、判った」
秋川と安城は慌てて杉原の死体をどかし、ドアを開けた。
「安城よ、吉野のキツさは今に始まった事じゃないが。小川も、あんなにキツいのか?」
部屋の外に出た時、秋川は小声で安城に質問した。
「さあ、な…」
安城は、苦笑しながら肩をすくめて見せた。
以下次号